死ぬまでに読むべき300冊の本
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紺碧の将

柔軟で自由自在な発想の妙

file.012 『退歩を学べ』森政弘 アーユスの森新書

 本書は「読書のすすめ」という書店の名物店主・清水克衛氏から薦めれて購入したが、しばらく未読の書棚に入ったままだった。「退歩」という言葉にネガティブな印象を抱いていたからだ。しかし、よくよく表紙を見ると「ロボット博士の仏教的省察」とサブタイトルがついている。

 私はこういう表現に弱い。つまり、「AなのにB」という構文である。「AなのにB」は大方の場合、相反するものがバランスを保っている状態を表す。例えば、「ムキムキマッチョなのに可憐な花が好き」とか「国をも動かす辣腕政治家なのに若いオネエチャンに弱い」など。

 科学者と仏教はあまりつながらないと思う。科学者であっても仏教に精通している人がいるかもしれないが、そういう人はかなり少数派だろうからこのサブタイトルが成り立つともいえる。要するに、このサブタイトルは「科学畑の人による東洋的、内面重視的な考察の本」だと言いたいのだろう。

 読み始めて、唸るばかりだった。はたと膝を打つことが何度もあったし、著者の慧眼に敬服することも数知れずあった。滑稽で笑ってしまう場面もあった。気がつくと、前のめりになって読んでいた。新書でこういう本は珍しい。

 たしかに、現代社会は「進歩、進歩、進歩!」である。進歩にあらずば人間ではないという風潮だ。しかし、退歩がなければ進歩もありえないと森氏は説く。

 冒頭に印象的な図がある。窓ガラスに一匹のハエがたかっている。ハエがたかっている窓は締められているが、右端の窓はわずかに開いている。ハエは外へ出ようと必死にもがく。しかし、ガラスに遮られ、にっちもさっちもいかない。森氏はこれが現代人の姿だと書いている。

 ――このハエに、退歩する知恵があったならと思う。後ろへ引けば視野が広がり、窓の右側に開いた場所が見える。そこから出るだけでわけなく助かるのである。肝心な点は、ガラスの存在を見抜く眼力と退歩する心の余裕があるかどうかである。

 と綴っている。科学者であるから、理に合わない主張をしているわけではない。進歩の価値を認めつつ、退歩することの意義を説いているのだ。

 仏教的考察も鋭い。一(いつ)や三性理の概念をわかりやすく解説している。退歩的な発想によってある発明に至った話、オーケストラのヴィオラの役割(森氏はオーケストラのメンバーでもあった)の話など、アプローチが多彩で、リベラルアーツをたっぷり学んだ跡が窺える。

 遊びの概念も面白い。ゴルフやパチンコは遊びで、会社勤めは仕事というものではない、と。「やらされるという気持ちのない状態が、何をしていてもすべて遊び」なのだ、と。

 読み終えて、傍線や付箋がたんまりと付いてしまった。文句なしにいい本である。

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