人の数だけ物語がある。
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Weekly Interview

人の数だけ物語があります。本欄では、月3回、インタビュー形式でさまざまな物語を紹介します。

Interview Blog Vol.33

学び続けることを選んだから、今の私があるのです。

国際医療福祉大学 講師神山英子さん

2018.01.21

神山さんは大学の講師・日本語教室の先生・日本語教師の養成など広く活躍の場を持ち、現在は日本語母語話者に向けた「やさしい日本語」の実践を広めていくために、さらに活躍の場を広げています。

ある決断が人生の大きな分かれ道だったと言う神山さんに詳しいお話をお聞きました。

やさしい日本語を日本で広めたい

「やさしい日本語」の実践とは具体的にどういったことなのでしょうか。

 日本語が不慣れな外国人と話すとき、いつもの話し方では通じない場合があります。でも言葉を選んで、ゆっくりと話すと通じることがあるのです。例えば「危険」よりも「あぶない」と言った方が通じやすいとか。そういった話し方のポイントを、日本語を話す側に教えるんです。

外国人を相手した日本語教室ではなく、伝わりやすい日本語の話し方を日本人に教えるということですね。そこに着目したのは何かきっかけがあったのですか。

 大学の中国文学科で学び、語学研修生として1年間中国に留学しました。でも現地でまったく喋れなくて……。悩んでいたら先生が皆に「神山さんと接するときはやさしい言葉を選んでゆっくり話すように」と指示してくれたのです。

 それからは状況が一変しました。コミュニケーションもとれるようになったし、私自身の中国語もどんどん上達していきました。

 相手が意識的にわかりやすい言葉でゆっくり話してくれるだけでこんなに違うのかと、身をもって知ることができたんです。日本でもこれを広めたいって思いましたね。

実際にはどのような場面でやさしい日本語が活用されるのでしょうか。

 役所の職員向け講座で文書作成と窓口対応の研修をしています。特に直接話す窓口対応こそ必要だと感じています。

 観光地からもやさしい日本語講座をやって欲しいと依頼がありました。お土産屋さんや飲食店など観光地全体でのやさしい日本語を用いた対応を教えて欲しいと言われました。

 あとは教育現場ですね。外国人の子供とその保護者も増えていますからね。

さまざまな場面で需要がありますね。

 他にも銀行や病院、郵便局など、やさしい日本語が必要な場所は多いです。かつて私自身が留学で経験したように、コミュニケーションが上手にとれないために居場所がないと感じてしまう外国人も多くいます。そうならないためにも、もっとコミュニケーションがとれる場を広げて、居場所を提供できるようにしていきたいですね。

悩んだ末の大きな決断

神山さんはやさしい日本語の活動の他にも、大学講師・日本語学校・日本語教師養成・通訳など多岐にわたってご活躍されています。この道に進むと決めたのはいつ頃からだったのでしょうか。

 子供の頃から「この道に進みたい」という願望は特にありませんでした。他言語を学ぼうと思ったのも、外国人と接する機会が多かった母の影響でした。大学で中国語文学科を選んだのも英語以外の語学をやりたかったからです。

 入学してからも、将来は中国語が使える仕事をやりたいとぼんやりと考えていた程度でしたね。

留学から帰国後に日本語学校の講師をされていますが、大学院にも進まれていますね。

 結婚し、子供も生まれて、下の子が幼稚園に入った頃ですね。

 子育てをしながら、主人の和食のお店を手伝いつつ、日本語学校でも働いていました。忙しかったけれど、何か満たされない気持ちが芽生えていったのです。

 ただ目の前のことを漫然とこなしていく日々の中、今まで得てきた知識や経験が自分の中からどんどん出ていってしまう感覚を覚えました。

 ただ純粋に、もっと学びたかった。現状維持から抜け出したかったのです。それで大学院に進みたいと思いました。

しかし日々忙しい中でそれを決断し、実行するのは簡単なことではなかったと思います。

 たくさん悩みましたよ(笑)。

 家族は理解をしてくれて、応援してくれましたけど、お金も時間もかかりますから、挑戦していいのかなって。やり遂げられる自信はありませんでした。それでも決断できたのは、幼稚園児だった娘のおかげでした。悩んでいた姿を見かねたのか、「私は寂しくても大丈夫だからやってみればいいよ!」って言ってくれたのです。

 モヤモヤしていた心の霧が一気に晴れた気持ちになりました。よし、やろうって(笑)。

実際に大学院に進まれてみてどうでしたか?

 想像していたよりも大変ではありませんでした。授業も日本語学校の仕事に支障のない時間帯でしたし、子供も主人の両親がみてくれました。そんなに心配することなかったじゃんって(笑)。

 でもそれは家族の支えがあったからこそですし、大学でも先生や同級生に助けてもらえたからなんです。人とのつながりのありがたさと大切さを学ぶことができましたね。

現在これほど多岐にわたってご活躍されているのも、その決断があったからこそですね。

 挑戦していなかったらきっと今、何もないですよね。惰性で生きていただろうと思います。おかげで今はやりたことがたくさんあります。本当にあの時、学ぶことをあきらめないでよかったです。

常に新しい知識を

根本的に学ぶことが好きなんですね。

 知識の供給が止まると心がカラカラに乾いてしまうんです(笑)。今も満足していなくて、今度は博士号を取りたいと思っているんです。

 やりたいことはいっぱいあって、そのためにはもっともっと学ぶ必要がありますからね。

常に新しい知識が必要ですね。

 基本的な日本語だけを教えていればいい時代ではなくなりましたからね。

 生徒の一人が仕事を得るために介護ヘルパー2級の資格を目指していたのです。正しく教えるためには私自身が介護を理解する必要があったので、一緒に資格をとっちゃいました(笑)。

 試験に受かるための言語、日常会話のための言語、働くための言語、まったく違いますからね。時代に合わせて何が必要か、どう教えるのがベストか、常に判断し対応していく必要があります。

これからの展望をお聞かせ下さい。

 長期的な展望はなく、基本的に今できることをやるスタンスです。

 ただ、毎年誕生日に「今年の目標」をたてていて、一年をどう動くべきか常々考えています。

 あとは自分の活動が広がっていくと、一人では無理が出てきますから、仲間を増やすことが必要です。自分のスキルを多くの人に伝えて、大きな輪になってくれるとうれしいですね。

 

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