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紺碧の将
Interview Blog Vol.16

日本人としての誇りを胸に、世界を駆け巡る

株式会社マイクロセミコンダクターリサーチ代表山下政治さん

2017.08.28

 マンハッタンと日本に自宅とオフィスを持ち、仕事を楽しむ男。世界を股にかけ、自由に生きるサムライの素顔を紹介しよう。

心動かされるとき、体も動く

山下さんの会社は、半導体の商社と言っていいのでしょうか。

 そうですね。半導体とはよく聞く言葉ですが、どういう意味かを理解している人は少ないと思います。鉄は電気を通すので導体。紙やプラスチックは電気を通さないので不導体。半導体は条件によっては電気を通したり通さなかったりするというもので、これを制御することによってさまざまなモノを機能させています。

ニューヨークを拠点に活動されていますね。

 高校を卒業した後、父の事業を継ぐはずでしたが、「必ず戻って来るから、アメリカに行かせてくれ」と父に頼み、渡米しました。1977年のことです。イーグルスの『ホテル・カリフォルニア』がヒットしていた頃で、まさに ♪Welcom To The Hotel Californiaという感じでした。

 アメリカで3年半生活し、父との約束どおり家業を手伝い始めたのですが、やっぱりもう一度アメリカに行こう、と思いました。というのも、単純な流れ作業ですから、代わりはいくらでもいます。付加価値のない仕事では将来がないと思ったのです。

 渡米するには資金が必要です。ちょうどその頃、友人が勤務する会社で、半導体の製造装置部品の組み立てをする下請けを探しているということを聞き、自宅の敷地に小さなプレハブ小屋を建て、その請負を始めました。事業も軌道に乗って、工場を借り、人を雇うほどになりました。夜中も正月も休む暇もなく、多忙を極めました。でも、頭の中では「これは自分のやりたい仕事じゃない」という思いがいつもありました。しかも、たくさん稼いでも、全部使ってしまって、渡米資金なんてちっとも貯まりませんでした(笑)。

 あるとき、好調だった事業に異変が起きたのです。創業から4年後の1985年、27歳のときです。パタッと仕事がなくなったんです。半導体マーケットというのは、4年周期で波があるんですが、このとき、ちょうど閑散期に入ってしまったんです。

それで工場を畳んだのですか。

 結果的にはそうですね。一度、サラリーマンになろうと思ったんです。自分はいずれ、また会社を興す。それには組織で働くという経験をしなければならないと思って。そのために、人間の節目である(と考えている)4年間は絶対に辞めないと自分に誓いました。

 その後、勤めた会社で、私は意外な自分の才能に気づいたのです。

それは何だったのですか。

 自分の名刺に、それまで経験のなかった「営業」の文字を見つけたときは、言葉を失いました。営業なんてできないと思っていましたが、実際に仕事を始めると、楽しくて楽しくて……。ハイテク産業の営業。これぞ自分のやりたい仕事だと思いました。それから紆余曲折ありましたが、所有していた都内のマンションを売り、妻子とともにアメリカに渡りました。

 そして2004年、米国でマイクロセミコンダクターリサーチを設立し、現在に至っています。かつて、「日の丸半導体」と言われた日本の半導体業界ですが、デフレや円高で投資は海外に流れ、働く場所のなくなった優秀なエンジニアの多くがアジアへ流出してしまいました。半導体業界を生きてきたからこそ、日本の半導体復活への思いがあります。

山下さんはいろいろなことに興味を持ち、実践されていますね。

 興味を持ったことは実践してみないと気がすまないんです(笑)。そのひとつが、居合です。出張先の富山で、ショーウィンドウに飾られた日本刀に釘付けになりました。研ぎ澄まされ、鍛え抜かれた鋼が醸す地金の美しさ。時代や刀工の美意識、偶発的な要素も相まってできる刃文の個性とその煌めき。武器であるだけでなく、権力の象徴、信仰の対象。歴代天皇が継承しているという「三種の神器」の一つでもあります。

 家を建てる時には、刀を飾る床の間を作ろうと思ったのですが、ただ愛でるだけではなく使えるようになりたいと思い、「無外流」に属して居合の稽古を続けています。今では試合のためにわざわざ帰国するほど、入れ込んでいます。

他にはどんなことをなさっていますか。

 中学生の頃に「指揮者によって楽団の出す音が変わる」という内容の番組を見て、一度でいいからオーケストラを指揮してみたいと思っていました。そして、アメリカでそれを試す機会がやってきたのです。

 チャリティーオークションで、「バンクーバー・シンフォニー・オーケストラ」の一日指揮者になれる権利を買えるというのです。そして、2000ドルで競り落としました。もちろん指揮者としての経験などありませんでしたが、「その日」に向けて、さまざまなオーケストラの音を聞いては練習し、夢を実現しました(右写真:バンクーバー・シンフォニー・オーケストラ の指揮者サルバトーレ・ブロトン氏と)。

素敵ですね。「指揮者は三日やったらやめられない」と言われますが、爽快だったでしょうね。ところで、山下さんは発明家でもありますね。

 そうなんです。あれこれ考えては、試作品を作っています。分厚いハンバーガーを崩さずに切るためのハンバーガー切断機、ピザを温かいまま食べるための簡易式保温保冷機……。特許もいくつか取っています。いつかはビジネスで使えるときがくるのじゃないかと思っています。

 

 

株式会社マイクロセミコンダクターリサーチ

http://www.microsemiresearch.com/

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