人の数だけ物語がある。
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Weekly Interview

人の数だけそれぞれの人生があり、物語があります。 本ブログでは週に一回、インタビュー形式でさまざまな物語を紹介します。

Interview Blog Vol.14

知られざる偉人たちのドラマを映像にしたい。

映画監督馬場政宣さん

2017.08.14

10年前の2007年、初めてメガホンを取った短編映画『千代のお迎え』が第79回アカデミー外国作品賞の最終10作品に選ばれました。

 

映像制作に魅せられて

映画監督になろうと思ったきっかけを教えてください。

 きっかけは大学時代の教授との出会いです。

 もともと翻訳に興味があって、上智大学の英文科に通っていたんですけど、たまたま映画のコースの講義を受けてみたら、その講義に衝撃を受けちゃって。

 講義をしていたのが、ケニー先生という日系アメリカ人なんですけどね。その先生の講義にすっかりはまっちゃったんですよ。それ以降、毎回、ケニー先生の講義を受けていました。

その講義では、具体的にどんなことをしましたか。

 チームを組んで映画を制作しました。企画から制作まで、すべての行程を行うんです。でき上がった作品をみんなで鑑賞した後、それぞれの作品について意見を出し合います。

 先生は、特にああしろこうしろとは言わなかったですね。ただ「ここがいいよね」って、良いところだけを評価してくれて、悪いところを指摘することはありませんでした。

 本当に魅力的な人なんですよ、ケニー先生って。今でもおつき合いがあります。

大学を卒業した後は、どうしましたか。

 いろいろ悩んだんですよ。海外で映像を学びたいけれど、本当にそれでいいのかと。

 大学1年生のときに感銘を受けた、ロバート・フロストの「The Road Not Taken(歩む者のない道)」という詩を読み返したこともあります。

 悩んだ末、ケニー先生に映像の世界に進みたいということを話したら、あっさり「UCLAに行けば?」って言われたんです。「行ってダメだったら帰ってくればいいんだから」って。それで決心がつきました。先生ご自身がUCLAの出身だったってこともありますね。

 UCLAでは、エクステンションプログラムで2年間、学びました。そこの先生たちは現役のプロばかりですから、実際の現場のような、生きた授業がよかったです。

 それと、西海岸の空気が僕の肌に合ったんでしょうね。それ以来、カリフォルニアに拠点を置いています。

 

単身アメリカでの挑戦、開かれた映像制作への道

『千代のお迎え』を撮影したのはいつですか。

 UCLAを終えた2003年です。学生ビザの期限が切れる5年間で、映画を一本撮れなければ日本に戻ろうと考えていたので、必死でしたね。

 企画はすでにできていました。ただ、スポンサー探しが大変で。

 いろいろありましたが、幸運にもスポンサーになってくれる人が現れて、彼のおかげで映画を作ることができました。

初めて作った映画がアカデミー賞の最終10作品に選ばれたのですよね。

 はい。4年後の2007年のことです。連絡があったときは、ちょうど車を運転中だったため、すぐに車を脇にとめて、しばらく唖然としていました。

 賞が取れなかったことを悔しくないといったら嘘になりますけど、今思えば、まだ若造でしたし、そのときに受賞に至らなくてよかったです。いろいろ課題も残っていたし、10作品に選ばれたこと自体、複雑な気持ちもありましたから。

 www.chiyoshort.com

今は、インディペンデントで映像制作をしていらっしゃるそうですね。主に、どんな作品をつくっているのですか。

 最近は、『seed』という、戦前にアメリカへ渡って米農場を立ち上げた、国府田敬三郎氏の世代を超えた家族のドキュメンタリー映画を撮りました。日本では『ドスパロスの碧空』という題名で、現在も全米のどこかで好評上映中です。

 独立するまでの6年間は、アメリカにある南アフリカの映画会社でアシスタントとして働いていました。働きながら、いつか自分で撮りたいと思う作品の企画もいくつか練っていましたね。短編映画だった『千代のお迎え』の長編化も、その中の一つです。

www.seedfilm.life

人の数だけ歴史があり、ドラマがある

馬場さんが映画を撮るときは、何をテーマにしているのですか。

 人ですね。僕は、実話にインスパイアされます。このインタビューブログのテーマでもあると思いますが、人の数だけ物語があるということを、ここ数年、実感しています。

 『seed』でも家族や家系がキーワードの一つとなっています。実際、僕も自分の家系を調べてみて、今、僕がこうしてここにいること自体、奇跡だなって思うんです。

 連綿と受け継がれてきた血が、僕の中にも流れている。それは、誰の中にも同じように流れています。そう考えると、今の僕たちはもちろん、その時代、時代を生きた人たちにも物語があるということですよね。

 だから、僕は人に焦点を当てたいんです。それも、知られずに埋もれている、偉大な人たちに。国府田敬三郎氏のドラマ化もその一つです。

 そして、もう一人。僕が思う偉大な人物の中で、ぜったい映画化にしようと考えているヒーローがいます。

それは、誰ですか。

 ベトナム戦争で亡くなったヨシアキという日系アメリカ人です。日本でも、『ヨシアキは戦争で生まれ戦争で死んだ』という本で知られているかもしれませんね。

 第二次大戦後に日本人女性と米兵との間に生まれたヨシアキが、母親と生き別れた後、孤児院で育ち、数奇な運命を辿ってベトナム戦争で亡くなるまでのストーリーを初めて知った時、僕はぜったいに映画にしたいと思ったんです。これは、僕の使命でもあると。

 というのも、母親が亡くなる前に、僕が映画にしたい本があるといって薦めたこの本を、病室で読んでくれたんです。病気で苦しいはずなのに、最後まで読んでくれて、「とってもよかったよ」と。

 ふだんは物静かな母がこの物語に感銘を受けてくれたことが、僕は本当に嬉しくて……。

 僕が上京して大学に行くときもアメリカに行くときも、父同様、何も言わず許してくれた母に、僕は何も恩返しができなかった。だから、この映画を実現させることは、僕の両親への恩返しでもあります。

 これからも父と天国の母に胸を張って観てもらえるような作品を、真心こめて創り続けていきたいと思います。

 

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