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引き算の真理

2011.03.03

 いままでいた人が忽然といなくなってしまった。あるいは逝ってしまった…。

 そうなった時、その人の欠落感(=存在感)はいやがおうにも増すはずだ。

 つまり、それを感じたいから、それを省く。そういう真実をいにしえの日本人は知っていて、「水を感じたいから水を抜く」という離れ業をやってのけた。

 枯山水。

 私たち日本人はそこに川の流れを感じることができる。

 「ここに実際に水が流れていたら、どんな感じになるのだろう」。そういう気持ちが、心の中に絶景を創り出す。実際に目の前にその実体があろうがなかろうが、心の中に素晴らしい自然を感じることができたら、その人は自然を味わっていることになる。そういうことを知っていたなんて、なんとわれわれの祖先のセンスは洗練されていたのだろう。

 

 今、私を取り巻く人の渦は大きくなるばかりである。それらは偶然の出会いだとは思えない。

 「うそだろ? ただの偶然だよな」と思いたくなるような出会いがたくさんある。これが天意でなくて何であろうか。

 そういう人たちがいつまでもいると思うなよ、と枯山水は教えてくれる。一期一会を大切にしなさい、と。

 “行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず 淀みに浮かびたるうたかたはかつ消えかつ結びてひさしくとどまりたるためしなし 世の中にある人とすみかとまたかくのごとし”

 私が好きな『方丈記』の冒頭の言葉だ。今、その言葉の意味を噛みしめている。

(110303 第233回 写真は竜安寺の庭)

 

 

 

 

 

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