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自分が好きなことを見つけて無我夢中で取り組み、ひとつずつ目標をクリアする。そうやって愉しみながら、自分という人間をぶ厚くしていく……。今がベストで、未来には未知の楽しみがある。これが、多樂の本質である、と『多樂スパイラル』のまえがきで書いたが、その原理原則は今も変わっていない。

日々の生活のなかで、森羅万象に潜む多樂をいかに味わうか。心に映りゆくよしなごとを書き留めておこう。それが読者の方々にとって、なんらかのスパイスになればとの願いもこめて…。

 

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ロダンとクローデル

2011.02.19

 印象派の作品が「これでもか!」というほどコレクションされているパリのオルセー美術館は私の贔屓の美術館で、今までに4度訪れた。ルーブル美術館はキリスト教の宗教画ばかりで、途中から美術鑑賞というより苦役にしか思えなくなるが、オルセーはほぼまんべんなく楽しめる。かつてターミナル駅だったオルセー駅の駅舎をそのまま使用して美術品を展示するという大胆な発想といい、作品の展示方法といい、いかにもフランスらしい美術館である。

 そのオルセー美術館でもっとも印象に残っている作品は、といえば、吹き抜けの昇降階段の片隅にひっそりと展示されているカミーユ・クローデルの老女像だ。

 小さな作品である。

 しかし、それを見たときの衝撃は筆舌に尽くしがたい。おそらく、狂っていく自分の哀れな末路を表現したものだろう。懊悩が凝縮された、悲壮な彫像である。

 

 カミーユ・クローデルといえば、ロダンのモデルであり、弟子であり、愛人でもあった。ロダンは美しく有能なカミーユを長く愛し続けたが、やがてカミーユの精神が破綻してくると無情にも捨ててしまう。その後、カミーユはロダンを憎みながら作品を作り続けていくが、オルセーにあるその老女像はその頃の作品ではあるまいか。いずれにしても、私にとってはロダンのどの作品をも凌ぐ、もっとも印象に残る一体である。

 そういえば、『カミーユ・クローデル』という映画では、イザベル・アジャーニがカミーユ役を演じていたが、イザベルは狂った女の役が得意とみえて、『アデルの恋の物語』でも狂っていくアデル役を見事に演じている(アデルはヴィクトル・ユゴーの娘である)。

 

 人はなぜ狂うのだろうか。

 誰もが内に狂気を秘めているはずだが、それが顕現することはめったにない。つまり、かなり無理をしてその狂気を押さえ込んでいるということだろう。

 かつてプログレッシブロックのピンク・フロイドはそのことを『The darkside of the moon』という作品で表現していた。ロックがもっとも力をもっていた頃の一枚だ。今聴いても鳥肌ものである。

(110219 第230回 オルセーの老女像の写真はないので、静岡美術館・ロダンの間の『考える人』を代役にもってきた)

 

 

 

 

 

 

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