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紺碧の将

松陰の講堂と豪華な庁舎

2010.10.14

 前回に続き、松陰ネタを。

 これが松下村塾の玄関である。こちらは後に松陰が増築した部分だが、これと隣接し、8畳一室の講堂がある。木造瓦葺き平屋建ての小舎で、ここから幕末の風雲児が多数輩出されたとは信じがたい。塾生はなんと60人ほどもいたという。講義の時は、立錐の余地がないほど人がひしめきあっていたことだろう。

 結局、仕事は建物で決まるわけではないということを教えてくれている。鄙びた場所にある、この小さな講堂から有為の人物が羽ばたいていったのだ。

 

 さまざまな自治体の首長を取材する中で気づいたことがある。

 庁舎が立派な自治体はほとんどダメだ。一方、古い庁舎を大切に使っている自治体は、首長も職員もまともなところが多い(もちろん、一部例外もあるが)。

 こんなことは考えなくてもわかる。税金(=住民の浄財)を無駄遣いする感覚の集大成が豪華な庁舎だ。だって、庁舎が立派だからといって仕事ぶりが良くなるわけではない。むしろ特権意識ばかりが増長し、財政負担も増え、街の景観をアンバランスにしている。つまり、悪いことづくしなのだ。例えば、北関東3県の県庁舎はどこも分不相応に立派だが、これらは悪しき典型的な例だ。それらの元祖が東京都庁であることは言うまでもない。

 宗教団体もそうだ。豪華な建物を作るようになってくると怪しくなってくる。信者から税金のかからないお金をどんどん吸い上げ、本来の活動とはかけ離れた方向に向かうことが多い。人の心を救うのに、信者から集めた浄財を豪華な建築物に変える理由は毛の先ほどもあるまい。そうはわかっても、騙されてしまうのが人間なのかもしれないが……。

(101014 第199回)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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