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自分が好きなことを見つけて無我夢中で取り組み、ひとつずつ目標をクリアする。そうやって愉しみながら、自分という人間をぶ厚くしていく……。今がベストで、未来には未知の楽しみがある。これが、多樂の本質である、と『多樂スパイラル』のまえがきで書いたが、その原理原則は今も変わっていない。

日々の生活のなかで、森羅万象に潜む多樂をいかに味わうか。心に映りゆくよしなごとを書き留めておこう。それが読者の方々にとって、なんらかのスパイスになればとの願いもこめて…。

 

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久能山東照宮

2010.06.13

 歴史上の人物で、最も尊敬する人物を今すぐ3人選べ、と言われたら、どう答えるだろうか。

 まず、大久保利通と徳川家康は揺るぎないツートップだが、残る一人は決まらない。

 織田信長、吉田松陰、坂本龍馬、勝海舟、伊藤博文……と考えるが、どうも決定打がない。スペシャリストとしては西行、東郷平八郎、小村寿太郎、渋沢栄一あたりもいいが、残る一枠に収まるには何かが足りない。

 ということで、3人を選ぶのは現段階では不可能でござる。

 

 それはさておき、静岡へ行ったついでに久能山へ行った。もちろん、久能山東照宮があるからである。

 静岡駅からタクシーで約30分。日本平からロープウェーに乗り、5分ほどのところにそれはある。

 家康が死の直前の元和2(1616)年4月2日、病床に本多正純、南光坊天海、金地院崇伝らブレーンたちを召して、自らの死後の処理を申し伝えたという話が崇伝の日記に書かれている。

 すなわち、遺体は駿河の久能山に葬り、葬礼は江戸の増上寺にて行い、位牌は三河の大樹寺に立て、一周忌を過ぎて後、日光に小堂を建てて勧請すべき、と。

 これは崇伝と天海が授けた、死して後に家康が鎮守となる壮大なコスモロジーの全体シナリオである。

 まず、久能山を真西へ進むと松平広忠夫妻が祈願して家康が誕生したと言われる鳳来山東照宮へつながる。さらに真西へ進むと、家康が生まれた岡崎城につながり、またまた西へ進むと京都につながる。

 一方、久能山→富士山→というルートの延長線上に、徳川氏祖先の地・世良田東照宮があり、その延長線上に日光がある。そして、江戸から日光は真北。日光のてっぺんには北極星という具合で、死して後、家康は北極星から全国を統べるという寸法であったわけだ。

 結果的に日光東照宮は家光が祖父を尊敬するあまり、小堂のはずがじつに壮大な堂となったが、それ以外は家康の遺言通りである。

 以下、あと2回、久能山関連の話題を。

(100613 第174 写真は久能山東照宮)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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