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紺碧の将

日本美術院の夢

2010.01.09

 生まれてこの方、初詣というものをしたことがない。少なくとも記憶にはない。除夜の鐘もかれこれ十数年聞いていない。

 そんなことで『Japanist』編集長が務まるのか、とお叱りを受けそうだが、そのかわり、最近は正月恒例のコースが定着した。ル・ランベール(というレストラン)〜天心記念五浦美術館〜天心の湯〜六角堂というコースだ。

 今年は美術館の周りをぶらりと散策していて、かつて日本美術院があった跡地を見つけた。断崖の上にあり、太平洋が見渡せる絶好の位置にあった。

 明治31年、岡倉天心は手塩にかけた東京美術学校の校長を解かれ、追い出されるが、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山ら精鋭を率いて五浦に都落ちし、そこに日本美術院を設立した。それが近代日本美術の発祥となったことは多くの人が知るところだ。

 その時、天心の心はいかばりだったろう。悔しくて眠れぬ夜もあっただろう。

 しかし、それらをぐっとこらえ、彼でなければできない運動を起こした。

 

 その地に立って太平洋を臨み、そんなことを想った。

 

 私は縁起かつぎとか宗教行事などとは縁がない男だ。

 前述のように初詣もしないし、クリスマスにもまったく関心がない。厄除けは1回もしないうちに平穏に時を重ねた。社屋が竣工する直前、風水に詳しいクライアントから、「高久さん、この建物は玄関が鬼門だから今すぐ工事を中止して設計変更をした方がいいですよ」と強く奨められたが、まったく意に介さなかった。それでも今までつつがなく事業は続いている。結婚式の日を決める時も、仏滅なら安いからその日がいいと主張したほどだ。

 しかし、日本の自然に八百万の神々があることは信じているし、先祖の霊魂が私を護ってくれていると本気で思っている。

 ときどき、自分の祖先をたどると、いったいどこまで遡れるのだろうと思うことがある。少なくとも縄文時代までは遡れるはずだし、その先も岩や木からいきなり人間になったわけでもあるまいから、ずっと遡れるはずだ。そう考えると、私の血脈は坂上田村麻呂や戦国時代や幕末を経験しているはずである。地理的な条件を考えると、足利尊氏に従軍し、各地を転戦したかもしれない。

 もちろん、事実はわからない。しかし、今ここに自分という命がある以上、遙か昔とつながっていることは厳然たる事実である。昔は長い距離を移動することは難しかったから、その土地で起こった戦などには否応なく巻き込まれていたはずだ。それでも、こうして自分という命がある。自分の中にはっきりと感じられる心性、すなわちいくばくかの正義感、こだわり(あるいは頑固さ)、楽天性などは自分特有のものではなく、遙か続く血脈から成っていると確信する。それがありがたいのである。

 だから、ことさら宗教行事などに関心を示さない風であるが、いつも日本の神々の存在を感じようとしているし、先祖の霊には手を合わせる。それだけは欠かせない。

(100109 第142 回写真は日本美術院跡地から見た太平洋)

 

 

 

 

 

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