多樂スパイス

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紺碧の将

白根山に想う

2010.01.01

 この『多樂スパイス』にアクセスし、いつも私の文章を読んでくれている皆さん、明けましておめでとうございます。

 いよいよ2010年。とても意味のある年です。今年の暮れ、そのことを実感することでしょう。

 

 「あの日にあのままおシャカになっていたら、どうなっていただろう」と時々考える。

 右の写真、よく見えないと思うが、日光中禅寺湖の湖畔から撮った日光白根山の風景である。右側に男体山がデン!とそびえ、目の前には清く澄み切った中禅寺湖。正面は日光連山。その中の最高峰が白根山で、関東以北ではいちばん高い山だ。

 このブログを過去にたどっていくと、一昨年の10月、その白根山で遭難しそうになった記事がある。あの時は、「こんな風にして人生の最期を遂げるのか」と本気で思った。やりたいことが山ほどあったのに、それもできずに凍え死んでしまうのか、と。

 もちろん、今こうしてこの原稿を書いているのだから、無事生還したのであるが、その時の恐怖を思い出すと今でも身震いがする。と同時に、限られた時間の中で精一杯、自分の役割を果たしたいと心を新たにすることができる。

 

 あの時、私は二つの大きな過ちを犯した。

 ひとつは高久和男という畏友を信じたこと。頂上手前で「疲れたので、少しペースを落とし、遅れて行くから頂上で待っていてほしい」という言葉を信じた私が迂闊だった。なんと高久和男はその後、みぞれが降ってきたのでそこでおにぎりを食べ、「先に下山します」というメールを送信し、勝手に下山してしまったのだ。ちなみに、標高2500メートル級の山で携帯の電波は届かない。それを受信したのは下山してからである。

 もうひとつの過ちは、山を甘く見ていたことだ。秋も終わりの頃だというのに、防寒具はなく、コンビニで買った薄手の雨具しか持っていなかったのだ。下山の途中、濃い霧に包まれ、道に迷った時、急激に冷え込んだことにうろたえた。あの状態でひと晩を過ごすことは絶対に不可能だっただろう。

 しかし、山の神様は私に温情をかけてくれた。もう少し生かしてやろうか、と思ったのかもしれない。

 突如、霧が晴れ、無事下山することができたのだ。

 

 だから、今の命はあの時に与えられたものだと思っている。

 

 論語で言う「五十にして天命を知る」は、まさにその通りだと思う。

 なぜ、27歳で広告会社を興し、途中で出版事業に活動範囲を広げ、表現活動をなりわいとしてきたのか、腑に落ちたのだ。デザインも文章も、そしてコンパス・ポイントという組織もみんなこのことと結びついていたのだと合点した。

 

──いいものを伝える。

 

 その一点である。「いいもの」の「いい」とは、「いい人、いい組織、いいこと、いい動き、いいモノ」などであり、それを自分の審美眼に照らし合わせて選び、自分なりの表現で、より多くの心ある人たちに伝える。それこそが自分の役割なのだとあらあめて認識することができた。

(100101 第139回)

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