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紺碧の将

安土城はわからないからオモシロイ

2009.12.31

 今年もいよいよ大晦日になってしまった。

 このブログ『多樂スパイス』を読んでくださっている皆さん、ありがとうございます。

 

 今年は初めて会ったのに、すでにこのブログを読んでいて、かなり私のことを知っているというケースがいくつかあった。本来なら、知り合って、徐々にその人間を知っていくというプロセスが当たり前なのに、初めて会った時にすでに相手の情報をたくさん得ているということが普通のことになってしまった。その分、自分を知ってもらう手間が省けるというか、話が早いというか、時代も変わったなあと痛感した次第である。

 いずれにしても、私の書いている「よしなしごと」に興味を抱いていただき、そこから多くの共感を得ていただいている(もちろん、その反対もあるだろうが)というのはありがたいことでもある。自分で言うのもナンだが、私の活動のほとんどは「日本をナンとかしたい」という一事につながっている。そのためには良識ある同志の広がりが欠かせなく、ない知恵をしぼり、ない体力を絞り出し、学び、楽しみながらPR活動、表現活動を続けているということでもある。

 え? ただ、楽しんでいるだけじゃないかって?

 まあ、そう言われてみれば返答のしようがない。

 

 さて、今年の締めくくりは、前回に引き続き信長ネタでござる。

 なんといっても安土城の魅力は、いまだ全容がわかっていないということだろう。人間もそうだが、謎の部分があると魅力が増す。勝手にイメージしちゃうからね。

 山の上に建ったとてつもない城、ということはわかっているが、まだまだ推測の域を出ていないことが多い。とりわけ、天守閣はこんなだったのかなと想像する以外にない。

 山を登り切ったところに天守跡がある。30メートル四方くらいの敷地で5層天守閣の地下にあたる部分だ。当時の礎石がいくつも遺っている。

 この上に約40メートルの天守閣があったということを想像するだけで、ここに来た甲斐がある。

 以上のような趣旨からすれば、そのまま帰路についた方が良かったとも言える。

 しかし、貸しチャリンコをこぎ、10分ほどのところにある「安土城天守 信長の館」へと行ったのである。そう、天守閣の最上部2層を再現した実物大の模型があるところだ。その模型はヨーロッパで行われた万博にも出展されたことがある。

 それが右上の写真。金ピカと朱の組み合わせがなかなかハイカラで、狩野永徳の襖絵もあったそうだ。

 これを見てしまったことは果たして良かったのかどうか。いまだにわからないでいる。イメージするだけの方が良かったのか、あるいはそれを見たことによって、より実像に近づいたと見るべきか。

 ひとつはっきり言えることは、やはり信長は洒落者であったということ。そのあたり秀吉とはちがう。

 その人を信用できるかどうか、というとき、洒落者であるかどうか、センスがあるかどうか、教養があるかどうか、粋であるかどうかは結構重要な要素となる。

 信長の館を見た後、安土駅まで自転車をこぎながら、「広く国民から浄財を募って、あの山のてっぺんに安土城を再現したら再生日本のシンボルになるのではないか」とバカなことを考えていた。

 

 それでは皆さん、良いお年をお迎えください。

 来年もご愛読よろしゅうお願いします。

(091231 第138回)

 

 

 

 

 

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