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紺碧の将

出雲大社、幻の本殿

2009.11.29

 姫路から宇都宮に戻り、仕事をいくつか片づけた後、出雲大社へ行った。

 今は11月だが、旧暦では10月。出雲はまさに神有月である。全国の神様が集合し、縁結びの会議を開いている時期だ。

 考えてみれば、日本の神様は大らかというか暇というかお節介というかお茶目というか、わざわざ出雲に集まって、この人とこの人をくっつけちゃおうなどと議論しているわけだから、平和と言う以外ない。一神教の世界ではありえないお気楽さだ。それほどに日本は昔から平和だったのだろう。もちろん、縁結び以外にも神様たちの議題はあったのだろうが、それとて大したものではないはず。宗教紛争などなかったし、外敵もいなかった。せいぜいあったとしても各部族の小競り合いくらい。だから、出雲大社のような社ができたのだと思う。

 

 今、60年に一度の屋根の葺き替え工事をやっていたため、本殿を見ることは叶わなかった。しかし、そこに何かがあるというのは感じることができた。

 感じられればそれでいい。

 まさに出雲大社は感じられる空間になっている。それは人々の信仰が、空気に蓄積されているからではないだろうか。

 

 ところで、出雲大社の本殿はかつて100メートル近かったという記録も残されているそうだ。まだ建築の技術が追いついていなかったのに、当時の人たちは執拗に高い本殿を造り続けた。そのため、平安時代には何度も倒壊している。

 いったい、当時の人たちをして何がそこまでなさしめたのだろう。

 その心中を忖度するだけで愉しくなってくる。高いところに行けば、神に近づけると思ったのだろうか。

 そう考えると、今建築中の「スカイツリー」も同じような動機によるものかもしれないと思えてくる。

(091129 第130回 写真は太古の出雲大社本殿予想図)

 

 

 

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