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紺碧の将

松尾芭蕉の創作観

2009.10.29

 最近、つくづく自然の創造力、造形力には人間逆立ちしたってかなわないなあ、と痛感する。花も虫も動物も、そして山も空も川も……。その形や色彩をつぶさに観察すると、驚嘆することばかりだ。

 

 先日、田口佳史氏の松尾芭蕉に関する講義を受けた。田口先生は、中国古典のみならず、歴史上の偉人について怖ろしいばかりに熟知しているが、単に知識だけで終わっていないところが、そんじょそこらの学者たちと大違い。やはり実学の人だ。

 芭蕉は次のような創作観を書いている。

──風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見るところ花にあらずといふことなし。思ふところ月にあらずといふことなし。像、花にあらざる時は夷狄にひとし。心、花にあらざる時は鳥獣に類す。夷狄を出で、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへりとなり。

(俳諧における精神は、天地自然を創造した大きな意志に順い、四季の移り変わりを変とするものです。ですから、そのような俳諧精神をもってすると、目に映るもののすべては花のように美しく、心に思うことのすべては月のように清らかに感じられます。外のかたちが風雅〈俳諧〉に見えないときは、まさに未開人と同じです。内に思うところが風雅でないときは、鳥獣と同じです。夷狄鳥獣を離れ、天然の創造物にしたがって人間の私意〈わがままな心〉を捨て去りましょう)

 とどのつまり、自然を見て俳諧を感じないのは未開人に同じ、心の中に俳諧をもたないのは鳥獣に同じと言っている。

 すでにわれわれの周りにパーフェクトな見本があるということだろう。要はそれに気づくか気づかないか。

 私は、秋の色が織りなす斬新なプレゼンテーションに唖然とすることがある。

 例えば、青空と紅葉。大胆な補色である。オレンジと青の組み合わせをここまでナチュラルに、そして創造性豊かに提示しているケースを他に知らない。しかも、オレンジ色にも青にも微妙な階調がある。見れば見るほど、感嘆せざるをえない。

 しばらくは自然の造形と配色の妙に魅せられそうである。

(091029 第124回)

 

 

 

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