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紺碧の将

風通しがいいということ

2018.05.25

 銀座一穂堂で「齋藤翠恵の書 川端康成に挑む」展が始まった。

 この個展の開催には、私も一枚噛んでいる。今年の2月、一穂堂の青野恵子氏の手引きにより、翠恵氏と会った。その時、彼女が以前書かれた「國」という作品の写真を見て、「川端康成の字に似ていますね」と言ったのだ。数年前に見た、川端康成と東山魁夷のコレクション展に川端の書が展示されていたのだが、まさにあのキャラ同様、極太で力強く、豪胆な書だったのである。その残像が脳裏にあったため、その発言となった。さらには、女手とは思えないという意味も含んでいた。

 その時の会話から、では川端康成がノーベル文学賞を受賞した時の記念講演「美しい日本の私」をテーマにここで個展を開いてはどうか、と話はトントン拍子に進んだ。気の早い青野さんは、「では、5月にやりましょう」と。翠恵氏は来年の5月と思っていたらしいが、「速攻」を武器にする青野さんは今年の5月をイメージしていたというオチもあった。

 なぜ、私が翠恵氏の書に惹かれたか。ひとことで言えば、風通しがいいからだ。人も自然も、そして芸術作品も、風通しがいいものを好む。禅語にも「空門風自涼」というものがある。風通しがいいということは、バランスがいい、偏っていない、なにものかに固執していないとも言える。柔軟であることの背景には、大地のような確固としたベースが必要であることは言うまでもない。

 政治思想もそうだ。共産主義のような、リアリズムのかけらもないような考え方と同様、国粋主義も風通しが悪い。偏って、頑迷だから風通しが悪くなる。頭山満や三島由紀夫を好きになれないのはそういうことだ。私が精神衛生上、快適に過ごしているのは、風通しの悪いものを避けているからだと思っている。

 風通しをよくするためには、さまざまな分野の「美しいもの」に触れていなければならない。ほんとうに美しいものは、偏っていないからだ。

 と思っている。

 

※悩めるニンゲンたちに、名ネコ・うーにゃん先生が禅の手ほどきをする「うーにゃん先生流マインドフルネス」、連載中。今回は「いい欲と悪い欲」。

https://qiwacocoro.xsrv.jp/archives/category/%E9%80%A3%E8%BC%89/zengo

(180525 第814回 写真上は一穂堂の展示風景。作品は「本来面目」と「雪月花」。下は齋藤翠恵氏)

 

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