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紺碧の将

西原金蔵さんの幕のおろし方

2018.04.15

 かねてから西原金蔵さんは、65歳の誕生日をもって店を閉じると公言していた。

 とは言っても、これだけの繁盛店。それを閉めるのは、早い速度で走っている車や電車を止めるようなもので、たいへんな決意と労力が要るはずだ。実際にそれを断行するのは困難だろうと思っていた。

 しかし、西原さんは公言していたとおり、今年の誕生日(5月)をもって〈オ・グルニエ・ドール〉を閉店する。

 これまで西原さんへの取材を幾度も行った。最初は2003年、『魂の伝承 アラン・シャペルの弟子たち』という本のためだった。意気投合して交誼が始まり、3年後、『fooga』2006年5月号(第52号)の特集記事「菓子づくりに魂を込めて」で紹介し、翌年、同誌の特集記事をまとめた『美しい生き方が、ここにあります』に掲載。親交のある、ある料理学校の理事長から、西原さんの仕事の哲学や人生観などを残したいという依頼があってあらためて取材を重ね、2011年、『本物の真髄 自然体のパティシエ 西原金蔵』を上梓。きわめつけは、昨年1月に上梓した『扉を開けろ 小西忠禮の突破力』。なんと、主人公の小西さんは、神戸アラン・シャペル時代の、西原さんの上司だったのである。

 そんなわけで、西原さんとの縁は深い。

 

 家族で蒲郡のホテルにいた。夕食をとりながら、西原さんの話題になった。西原さんの店は開店以来、ずっと行列が絶えないが、今年の5月末日で閉店するんだって、と。じゃあ、明日、行ってみようかと相成った。

 そして翌日、京都の〈オ・グルニエ・ドール〉を訪ねた。相変わらず満席で、入り口あたりは人がごった返している。待っている人たちには申し訳ないと思いながら西原さんに電話をし、二階のオーディオルームにあげていただき、焼き菓子に舌鼓をうちながら小一時間ほど歓談した。西原さんは筋金入りのオーディオマニアだが、以前伺ったときよりも装置は格段にパワーアップしていた。

 

 それにしても、あれだけの繁盛店にするには、途方もない労力が要るだろう。それは、これからも潤沢な利益を与えてくれるということでもある。なのに、閉店してしまうのだ。

 しかも、無条件に息子に譲るということをしない。買い取ってくれるのなら、譲ってもいいとずっと言ってきた。息子もそのあたりのことは心得たもので、自分が借金できる範囲で、と、西原さんが創業当時に開いた店(現在の店の斜め前にある、間口の狭い店)を買い取って、もうじき始めることとなった。

「僕は自分を凧のようなものだと思っているんです。今は風が吹いていて、糸が地上とつながっているから舞い上がっているけど、65歳を機に糸を切ったら、どこへ行くんだろうと。風に吹かれるまま、降り立ったところで次のテーマを考えたい」と語る。

 ずっと屈託のない笑顔だ。恬淡としているというか、執着がない。面白いもので、そういう人に福がついてくる。西原さんはずっと言っていた。「創業からずっと順調にきている。こんなはずはない。ぜったいどこかに落とし穴があるはず。だから、気をつけないと」。閉店まで残り1ヶ月半となった今も順調に推移している。

 出店してほしいという要請にも乗らず、菓子づくり教室では実演・実習をやらずに本質論だけを語る。現在の店舗は、町家を買い取って改装したもので、驚くほどコストがかかっている。それを閉めてしまうというのだから、あっぱれという以外ない。

「金蔵さん、あなたは人生の達人です!」

 

※悩めるニンゲンたちに、名ネコ・うーにゃん先生が禅の手ほどきをする「うーにゃん先生流マインドフルネス」、連載中。今回は「〝みんな同じ〟が平等ではない」。

https://qiwacocoro.xsrv.jp/archives/category/%E9%80%A3%E8%BC%89/zengo

(180415 第804回 写真上は西原さん自慢のオーディオ機器の前で。下は店舗入口)

 

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