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紺碧の将

知覧で考えたこと

2009.09.06

 今年の7月上旬、知覧を訪れた。もちろん、特攻隊の最前線基地があった、あの知覧である。10月に発行予定の『Japanist』第3号の巻頭言で知覧のことを書きたかったからだ。

 結論から先に書けば、今に至るも知覧のことはなにひとつ書いていない。何度も書こうと思ったが、どうやっても視点が定まらないのだ。視点が定まらないままに書くのは読者に対して失礼である。そこで急遽、「国家のために尽力した人を顕彰しよう」という題で大久保利通論を書いた。

 

 なぜ、知覧のことを書けないのだろうか。じつに不思議だ。私は自分で言うのはナンだが、けっこう速筆である。いったんハマると、アッチの世界に行ってしまい、無我夢中で書いてしまう。気がつくとコッチの世界に戻っているという具合だ。

 しかし、知覧のことはなにひとつ書けなかった。もちろん、若き兵士たちを讃える気持ちが減じたわけではない。心中複雑であったろうが、あのように潔く死地に向かって飛び立って行ったことをどうして非難できようか。かと言って、可哀相とは思わない。というよりも、そう思ってしまっては若き兵士たちに失礼だ。

 では、ここで愚かな作戦を考えた当時の日本軍に刃を向ければいいというのだろうか。それを言うのは簡単だが、それは的はずれのような気がする。

 ひとつだけ、揺るぎない考えがある。それは、小・中学校いずれかの修学旅行で知覧に訪れてほしいということ。子どもたちによけいなことを教えず、ただ見て、感じてもらいたい。

 

 思えば、日本の子どもたちは哀れだ。過去、日本は悪いことばかりしたと教えられている。新しい歴史教科書を作ろうと運動が起こっただけで左翼の活動家たちに妨害され、自国の歴史をきちんと知る機会を奪われている。

 あえて書くが、日本が悪いことばかりをした、というのは間違っている。正確には、「数え切れないほどたくさん良いことをし、ほんの少し悪いこともした」というところだろう。たしかに昭和のある時期、戦場において度を越したことをしてしまったかもしれないが、国家をあげて悪いことをしようと企んだことはない。

 日本は地政学的な条件から、他国と交戦する必要がなかった(白村江の戦いや秀吉の朝鮮出兵などの例外を除いて)。日清・日露戦争の時も、涙ぐましいほど国際法を遵守していた。昭和の大東亜戦争にしても、列強のアジア進出という外的要因がなければ、あのような事態にはならなかった。自衛のための戦争だったということは、かのマッカーサーでさえ、そう言っている。

 悪徳国家と言えば、ロシア・中国を筆頭に、イギリス・フランス・ドイツ・アメリカ・スペイン・ポルトガル・オランダなどは、われわれの想像を絶する、非人道的な悪行の限りを尽くしてきた。彼ら白人たちが地球上で行った卑劣な行為の数々は、百万言費やしても語りきれるものではない。例えば、東京裁判の公判中も西洋列強やソ連・中国は他国に侵略し、そこに住む住民を苦しめ続けていた。その「確信犯的な似非正義」をふりかざす国々から間違ったプロパガンダを刷り込まれ、ごていねいに今でもそれを頑なに信じ続けている。それこそ思考停止といえるのではないか。

 ところで、知覧の話に戻るが、兵士たちが飛び立った滑走路など、もっと「現場」を残せなかったものかと残念でならない。おそらく、何もかもGHQによって抹殺されてしまったのだろう。

 救いと言えば、兵士たちの宿泊所であった三角兵舎が再建されていること。出撃の前夜、ここで壮行会が開かれ、薄暗い電球の下、皆で隊歌を歌い、酒を酌み交わし、遺書を書いたという。そして、沖縄の空に散華した。

 いずれ、知覧のことはきちんと書かねば。

(090906 第114回 写真は三角兵舎)

 

 

 

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