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「失敗の本質」からなにを学ぶか

2017.12.27

 かなり前から読まなければならない本と強く意識しながら、遠ざけていた。この本を読み通すのはつらいといろいろな識者が書いていたからだ。

 しかし今回、意を決して読んだ。

 まさしくそのとおりだった。まるで自分の顔を鏡に写し、欠点をまじまじと見つめるかのような苦行の連続だった。日本人の民族としての欠点を、これでもかと白日のもとにさらし、冷静に分析しているのだ。

 戸部良一氏ほか5名による共著『失敗の本質』(中公文庫)である。「日本軍の組織論的研究」とあるように、先の大戦を通じて日本軍が露呈した欠点をまとめたものである。

 あらためて気づいた。長所は短所の裏返しでもある、と。例えば、再三再四、同書では「情に流され、客観的な判断を下せない日本人の悪弊」を指摘する。しかし、これは「情に厚い」日本人の長所の裏返しでもある。  

 いわば日本人は大きなムラに住んでいるようなものだ。「言わなくてもわかる」「忖度する」「相手を慮る」「集団行動をよしとする」「年長者をたてる」「波風立てない」「人と違った意見を言わない」「みんなと同じ考え方をするのが安心」「常識を盲信する」「異端を受け入れない」といった特性が顕著な日本人は、それゆえに道徳心が厚く、高いレベルで共生社会が保たれ、争いを意図的に避けてきた。

 私は物心ついた頃からフランス文学に惹かれ、知らず知らず「人間とは醜いものだ。しかし、時としてそうじゃない人がいるからこそ美しい」と思うようになった。その後、社会人として生きてきた感想をいえば、「まさにそのとおり!」である。だから、群れることが嫌いで、常識はいったん疑う。そのあとで自分の考え方を構築する。

 ま、私の話はいいか。

 同書の要点をいくつか挙げてみよう。じっくり読み込めば、企業をはじめさまざまな組織運営の役に立つであろう。

 

●人間関係を過度に重視する日本人の情緒主義や、強烈な使命感を抱く個人の突出を許容するシステムの存在が、失敗の主要な要因となった。

●関東軍の作戦演習では、まったく勝ち目のないような戦況になっても、日本軍のみが持つとされた精神力と統帥指揮能力の優越といった無形的戦力によって勝利を得るという、いわば神がかり的な指導で終わることがつねであった。

●情報機関の欠陥と過度の精神主義により、敵を知らず、己を知らず、大敵を侮っていた。関東軍作戦課は、ソ連・外モンゴル軍に対しては3分の1程度の兵力で十分であるという考え方だった。

●陸海軍の間では、相互の中枢における長年の対立関係が根底にあって、おのおの面子を重んじ、弱音を吐くことを抑制し、一方が撤退の意思表示をするまでは、他方は絶対にその態度を見せまいとする傾向が顕著であった。

●戦略デザインと現状認識しかなかったために、戦力の逐次投入が頻繁に行われた。

●補給は敵軍より奪取するか、または現地調達をするというのが常識的でさえあった。

●インパール作戦においては、コンティンジェンシー・プラン(不測の事態に備えた計画)が事前に検討されていなければならなかった。牟田口によれば、作戦不成功の場合を考えるのは、作戦の成功について疑念を持つことと同じであるがゆえに必勝の信念と矛盾し、したがって部隊の士気に悪影響を及ぼすおそれがあった。

●いかなる戦闘においても、ある程度の誤断や錯誤は不可避である。むしろ本来、作戦計画とは、実施後に生じるおそれのある誤断や錯誤をも見込んで立てられるべきであった。しかし、日本軍の作戦計画には、そのような柔軟性はなく突進一点張りであった。

●短期決戦志向の戦略は攻撃重視、決戦重視と結びついているが、他方では防御、情報、諜報に対する関心の低さ、兵力補充、補給・兵站の軽視となって表れる。

●日本軍の戦略策定は一定の原理や論理に基づくというよりは、情緒や空気が支配する傾向があった。理性的判断が情緒的、精神的判断に途を譲ってしまった。空気が支配する場所では、あらゆる議論は最後には空気によって決定される。

●本来、戦術の失敗は戦闘で補うことはできず、戦略の失敗は戦術で補うことはできない。とすれば、状況に合致した最適の戦略を戦略オプションのなかから選択することがもっとも重要な課題になるはずである。

●日露戦争の日本海海戦で大勝したために、大艦巨砲主義、艦隊決戦主義が唯一至上の戦略デザインになった。硬直的な戦略発想は、秋山真之をして「海戦要務令が虎の巻として扱われている」と驚かせた。昭和9年の改定以後、結局一度も改定されず、航空主兵の思想が海軍内部で正式に取り上げられるチャンスを逸した。

●インパール作戦中、河辺司令官は牟田口司令官を訪ねた。両者とも作戦中止を不可避と考えたにもかかわらず、「中止」を口に出さなかった。牟田口は「私の顔色で察してもらいたかった」と言い、河辺も牟田口が口に出さない以上、中止の命令を下さなかった。

●日本的集団主義とは、個人と組織とを二者択一のものとして選ぶ視点ではなく、組織とメンバーとの共生を志向するために、人間と人間との間の関係それ自体が最も価値のあるものとする思考。

●「間柄」を中心として組織の意思決定が行われていく。日本軍の集団主義的原理は、ときとして作戦展開・終結の意思決定を決定的に遅らせることによって重大な失敗をもたらした。

●米軍の作戦展開の速さは、豊富な生産力、補給力、優秀な航空機要員の大量供給といった、物的・人的資源の圧倒的優位性に負っていたが、同時に作戦の策定、準備、実施の各段階において迅速で効果的な意思決定が下されたという組織的特性にもその基盤を置いていた。その一つの表れが、ニミッツ司令長官によって行われた指揮官交替システムである。

●米軍は、有能な少数の者にできるだけ多くの仕事を与えるのがよいと考えた。その人間の能力の最良の部分を活用することが大切であると。

 きわめて柔軟な人事配置であり、「軍令承行令」によって、指揮権について先任、後任の序列を頑なに守った硬直的な日本軍と対照的だった。

●日本軍の精神主義は、組織的な学習を妨げる結果になった。相手の装備が優勢であることを認めても、精神力において相手は劣勢であるとの評価が下されるのがつねであった。もう一つの問題点は、自己の戦力の過大評価である。

●失敗した戦法、戦術、戦略を分析し、その改善策を探求し、それを組織の他の部分へ伝播していくということは驚くほど実行されなかった。戦争中、一貫して日本軍は学習を怠った組織であった。それに対して、米軍は理論を尊重し、学習を重視した。

●日本軍には対人関係、人的ネットワーク関係に対する配慮が優先し、失敗の経験から積極的に学び取ろうとする姿勢の欠如が見られる。

●海軍の用語に「前動続行」という言葉がある。これは、作戦遂行において従来どおりの行動をとり続けるという戦闘上の概念であるが、まさに日本軍全体が、状況が変化しているにもかかわらず「前動続行」を繰り返していた。

 学習理論の観点から見れば、日本軍の組織学習は、目標と問題構造を所与ないし一定としたうえで、最適解を選び出すという学習プロセス、つまり「シングル・ループ学習」であった。必要に応じて、目標や問題の基本構造そのものをも再定義し変革するという、よりダイナミックなプロセスが存在する。組織が長期的に環境に適応していくためには、自己の行動をたえず変化する現実に照らして修正し、さらに進んで、学習する主体としての自己自体をつくり変えていくという自己革新的ないし自己超越的な行動を含んだ「ダブル・ループ学習」が不可欠である。

●業績評価は結果よりもプロセスや動機が重視された。

●陸軍は、物的資源よりも人的資源の獲得が経済的により容易であったという資源的制約と、人命尊重の相対的に希薄であった風土のなかで、火力重視の米軍の合理主義に対し白兵重視のパラダイムを精神主義にまで高めていった。

●米軍は、統合参謀本部という組織的な統合部門を持ち、陸海軍部隊の戦略と運用の一元的な統合を確保し、陸海軍の間に基本的な葛藤(コンフリクト)がある場合には、大統領が統合者として積極的にその解消に乗り出した。

●満州・中国から香港、シンガポールへと続いた白兵銃剣主義の成功は、火力に頼らずにやれたという自信とあいまって、ますます強化された。

●組織学習には、組織の行為と成果との間にギャップがあった場合には、既存の知識を疑い、新たな知識を獲得する側面があることを忘れてはならない。その場合の基本は、組織として既存の知識を棄てる学習棄却、つまり自己否定的学習ができるかどうか。

●逆説的ではあるが、日本軍はきわめて安定的な組織だった。彼らは思索せず、読書せず、上級者となるに従って反駁する人もなく、批判を受ける機会もなく、式場の御神体となり、権威の偶像となって温室の裡に保護された。

●日本軍には、高級指揮官の抜擢人事はなかった。将官人事は、平時の進級順序を基準にして行われた。年功序列を基準とした昇進システムのなかで、最も無難で納得性のある基準が、陸士・海兵の卒業成績と陸軍・海軍大学校の成績順位であった。予測のつかない不測事態が発生した場合にとっさの臨機応変の対応ができる人物は、定型的知識の記憶にすぐれる学校秀才からは生まれにくい。

 米軍は徹底的な能力重視を貫いた。

●およそイノベーションとは、異質なヒト、情報、偶然を取り込むところに始まる。官僚性とは、あらゆる異端・偶然の要素を徹底的に排除した組織構造である。日本軍は、異端を嫌った。

 

 ……。書き写すだけでもシンドイ。

 結論を書けば、日本人はまったく戦争には不向きな民族である。ある意味、多大な代償を払いながら米軍に守ってもらっている現状は、正しい選択なのかもしれない。

 しかし、それもどうなのだろう。国と国の安全保障が何十年も続いたことは稀だ(日米安保のように)。いつまでも米国が日本を守ってくれると考えるのは浅はかだろう。

 同書の筆者はこう結ぶ。

 ——将来、危機的状況に迫られた場合、日本軍に集中的に表現された組織原理によって生き残ることができるかどうかは、大いに疑問となる。

 つまり、こういう民族性では、この先、不安でしかたががないと言っているのだ。そして、こうも書いている。

 ——日本軍が特定のパラダイムに固執し、環境変化への適応能力を失った点は、「革新的」といわれる一部政党や報道機関にそのまま継承されているようである。すべての事象を特定の信奉するパラダイムのみで一元的に解釈し、そのパラダイムで説明できない現象をすべて捨象する頑なさは、まさに適応しすぎて特殊化した日本軍を見ているようですらある。

 

 革新勢力は旧日本軍部を嫌いながら、その体質を引き継いでいると喝破している。「どのようにして外敵から国を守るのか」を考えようとすると、すぐに「戦争反対!」と叫ぶ共産党や立憲民主党、朝日新聞や東京新聞などの極左勢力を憂いている。本来、戦争が起こらないよう、さまざまな戦略やオプションを考えるのが必要であるにもかかわらず、思考停止している。まさに、旧日本軍のやったことと同じ愚を犯しているのである。

 

※悩めるニンゲンたちに、名ネコ・うーにゃん先生が禅の手ほどきをする「うーにゃん先生流マインドフルネス」、連載中。

https://qiwacocoro.xsrv.jp/archives/category/%E9%80%A3%E8%BC%89/zengo

(171227 第777回)

 

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