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紺碧の将

サッカーは都市国家戦争の名残?

2017.06.11

 あれは1974年のことだった。深夜、たまたまテレビをつけたらワールドカップ西ドイツ大会の決勝戦の生中継が始まるところだった。

 西ドイツ─オランダ。自陣でゆっくりボールを回していたオランダは、一気にトップスピードで相手ゴール前へ。たまらず西ドイツはファウルを犯しPK。試合開始早々1分でオランダが先制した。
「な、な、なんなんだ! これは!」
 これが本場のサッカーなのかと驚いた。
 試合は結局、〝爆撃機〟ミュラーが決勝ゴールをあげ、西ドイツが優勝した。その大会は〝皇帝〟ベッケンバウアーと〝空飛ぶオランダ人〟クライフの大会だったが、決勝戦ではフォクツやブライトナー、ニースケンスらにも魅了された。
 以来、サッカーファンとなり、94年のワールドカップアメリカ大会では決勝戦を生で見るという僥倖に恵まれた。
 その頃、毎週WowowでイタリアセリエAの試合を見ていたため、私はアズーリ(イタリア代表チーム)のファンだった。大会が始まる前、「どうせなら、決勝戦はブラジル対イタリアになってほしい」と思っていたら、ほんとうにそういう組み合わせになった。バッジョ、ロマーリオ、バレージ、マルディーニら、きら星のごとくスーパースターの激突だった。試合は延長でも決着がつかず、PK戦へ。バッジョがはずして劇的な幕切れとなった。
 キッシンジャー元大統領補佐官は大のサッカーファンだが、「サッカーは民族的、野球は民主主義的」と語っていたのを読んで、感心した覚えがある。たしかにサッカーは民族的だ。それゆえに、都市国家戦争の名残を残している。イタリアやスペインで盛んというのもうなずける。以前、パリ郊外のスタジアムでパリ・サンジェルマン─リールの試合を見たとき、ドーム型スタジアムなのに発煙筒が激しく炊かれ、興奮した覚えがある。まさしく戦争の様相を呈していた。いっぽう野球は順番が公平に回ってくるなど、たしかに民主主義的だ。
 私が見たこれまでのベストゲームは、マラドーナがいた頃のナポリとオランダ・トライアングル(フリット、ファンバステン、ライカールト)がいた頃のACミランの戦い。スポーツというより、芸術のような一戦であった。
 ところで、長らく日本代表がワールドカップに出場できるなど予想だにしていなかったが、今では隔世の感がある。いい時代になったものだ。
(170611 第728回 写真上は2005年、パリのサッカースタジアムにて。発煙筒が激しく燃えている。下は1994年のアメリカワールドカップ決勝。LA郊外のローズボウルスタジアムにて)

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