多樂スパイス
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自分が好きなことを見つけて無我夢中で取り組み、ひとつずつ目標をクリアする。そうやって愉しみながら、自分という人間をぶ厚くしていく……。今がベストで、未来には未知の楽しみがある。これが、多樂の本質である、と『多樂スパイラル』のまえがきで書いたが、その原理原則は今も変わっていない。

日々の生活のなかで、森羅万象に潜む多樂をいかに味わうか。心に映りゆくよしなごとを書き留めておこう。それが読者の方々にとって、なんらかのスパイスになればとの願いもこめて…。

 

Blog TarakuSpice

遊べ、学べ、仕事をしろ

2017.03.20

 歳を重ねると、いろいろなことがわかってくる。ただ単にわかったような気になっているだけかもしれないが、少しずつ本質に近づいていると実感することがある。

 電通の過労死事件が発覚して以来、「働き過ぎ=悪」という図式ができあがってしまった。それでなくても、日本人は働き過ぎというレッテルを貼られていたため、これを機に、繁忙期以外の時間外労働を月100時間以内にするなど、法律で労働時間を制限しようという動きが加速している。
 それっていいことなのだろうか。
 もちろん、悪徳ブラック企業によってボロ雑巾のようにこき使われている人を解放するという目的であれば、いいことだと思う。しかし、たくさん仕事をして上達したいと思っている人にとっては、余計なお世話といえるのではないか。例えば、野球選手やピアニストや宮大工に対し、「○○時間以上仕事をして(練習して)はいけませんよ」と決めたらどうだろう。レベルはどんどん低下し、その結果、面白みのない社会になってしまう。
 結局、そういうことなのだ。みんな平均的に仕事をしようというのは、プロフェッショナルを育てない社会にしようということでもある。
 私は、たくさん仕事をしたい人はどんどんすればいいと思っている。制限すること自体、とてもナンセンスだ。その理屈は、サラリーマンでも同じだと思っている。
 日本人の勤労観は、もともと西洋のそれとは大きく異なっていた。仕事は自分を磨く機会ととらえていたし、もっと言えば神事に近い行為でもあった。西洋化してしまったのは、戦後、全労働者に占めるサラリーマンの割合が多くなってからだろう。
 本来はウィークデーとか週末という発想もなかったはずだ。お天道様が昇ると同時に仕事を始め、日が沈むと休む。お天道様は土日だからといって昇らないということはない。日照時間は日々変わるものの、毎朝昇って、夕方沈む。多くの人間がそれに合わせて仕事をしていたはずだ。
 しかし、いつからか、月曜日から金曜日までが仕事をする日で、土日は休日ということが「常識」となった。
 はたして、それがいいことなのか?
 私の考えを押しつけるつもりはないが、私は毎日同じリズムで生活を送っている。毎朝6時半すぎから仕事をする。土日もゴールデンウィークも年末年始もほとんど同じだ。
 ただし、休みたいと思えばいつでも休む。体が休みを求めていると感じれば、できる限り休息をとろうとしている。つまり、一日の中で休みをとっているので、あえて休日を設ける必要がないのだ。

 

 冒頭に戻る。年齢を重ねて、いったいなにがわかったのか。
 遊びと学びと仕事は表裏一体であり、突き詰めると境界がないということである。
 常識的には、学校に入学するまでが遊び、その後、学生になって学び、社会人になって仕事をする。その間、土日などの休日が休みという区分けがなされているが、じつはそうではなく、3者は表裏一体、渾然一体となっているということ。
 つまり、遊んでいるようでその実、学びでもあり、仕事にも役立っている。あるいは、仕事をしているけれども、そのまま学びでもあり、遊びのように楽しい。それが「遊学働の三位一体」ではないか。例えば、私にとっては旅も食事も読書も人に会うのも、すべて学びであり仕事であり、そして遊びでもある。
 上の図を見ていただきたい。左が世間的な常識の図。3者はそれぞれ別のものであり、分離している。しかし、3者が互いに相乗効果を発揮するようになった状態が真ん中の図。これを突き詰めると、遊びも学びも仕事もほとんど一致してしまうという状態。これが理想的だと思っている。
 私はどのような状態かって? 真ん中と右端の中間くらいではないかと思っている。もちろん、目指すは右端の状態。あと10年も過ぎれば、そういう状態になっていると密かに思っている。
(170320 第708回)

 

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