多樂スパイス
HOME > Chinoma > ブログ【多樂スパイス】 > この恵まれた国、ニッポン

ADVERTISING

紺碧の将

この恵まれた国、ニッポン

2017.03.03

 しみじみ思う。いい国に生まれたと。

 つくづく思う。ここまで至れり尽くせりの国はないと。
 たしかに重箱の隅をつついて針小棒大に語れば、悪い面は山ほどある。しかし、それでも他の国と比べれば、信じがたいほど豊かな国である。そういう国で暮らすことができ、われわれ日本人は幸せだ。トルコ生まれの知人が「日本人は黄金の絨毯の上を歩いているようなもの」と言ったのは、けだし名言である。
 食べ物は巷にあふれ、学ぼうと思えばいくらでも学べる。仕事だって、えり好みをしなければいくらでもある。もし、競争に負けたとしても、セーフティネットは社会の隅々にまで機能している。
 しかし、どんなに至れり尽くせりの制度ができても、それが当たり前の状態になれば、人はありがたいとは思わない。
 例えば、ひとつのおにぎりを得るために早朝から夜遅くまできつい仕事をしている人がいるとする(極端な喩えだと言う人がいるかもしれないが、そうしなければ食べられない時代はつい近年まで続いた。ジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』を読めば、20世紀初頭のアメリカでさえそうであったことがわかる)。彼の勤務条件が改善され、朝7時から夜7時までに労働時間が短縮され、それまで一日1個だったおにぎりが2個に増えたとしよう。その人は涙を流して喜ぶだろう。
 しかし、そういう喜びも1年と経たないうちに消えてなくなり、それが当たり前の権利となる。
 おそらく人間はそういうことを繰り返し、現代の超裕福社会を築いてきたのだろう(あくまでも先進国の話だが)。
 その中でも日本は極めて恵まれていると私は思っている。以前「日本、死ね」とSNSに投稿した女性のことが話題にのぼっていたが、これだけ「至れり尽くせり」の社会に生きる人間のなれの果てを見る思いだ。おそらく彼女は待機児童の問題が解決されても、新たな不満を覚え、それを社会にぶちまけることだろう。哀しい人である。

 

 足を知る者は富む。
 
 今、なにが楽しいといって、学ぶことほど楽しいことはない。以前と比べれば欲しい物が減り、これを食べたいという食欲も減ってきた。
 そういう状況にあって、もっとも楽しいのは学ぶことだ。私の場合の「学び」とはリベラルアーツにほかならないが、学びのテーマは無数に転がっている。どこから手をつけていいかわらないほど、たくさんある。それを仕事に生かすことができたら、どんなにか幸せだろう。
 しかし、先日、新聞の記事を読んで唖然とした。スマホでネットを見る時間が高校生で170分とあった。小学生でも70分だ。
「毎日3時間もスマホを見ているのか!!!」
 驚いたのなんのって。なにしろ私はスマホを持ってはいるが、ネットを見る時間はほぼゼロだ(ガラケーでいいのかも)。仕事でパソコンに向き合う時間が長いため、パソコンから離れたら、できる限り電子機器には近寄りたくないと思っている。
 それにしても、高校生って学ぶことが本分ではなかったのか。
 もちろん、ネットの情報のすべてがゴミだとは言わない。中には貴重で有用でその人を豊かにしてくれるものもあるだろう。しかし、ひどく簡単に言ってしまえば、ほとんどが細切れの情報で、どうしようもない内容ばかりだ。ただ排泄行為のように吐き散らした情報も少なくはない。そういうものに浸かるために、2度と戻ってこない青春期を浪費してもったいないとは思わないのだろうか。
 仮にそれで由としよう。それでその人が成長し、心も豊かになるのなら。
 しかし、日本人の精神疾患は増える一方だ。こんなに豊かな国に住んでいるにもかかわらず……。
 まず、これ以上、至れり尽くせりの社会制度はもはやありえないということを学ぶべきではないか。
(170303 第704回 写真上は4年前に見た、ジンバブエの小学校の授業風景。この少年たちと日本の少年、どっちが豊か? 下はケープタウンの街路)

ADVERTISING

Recommend

記事一覧へ
Recommend Contents
このページのトップへ