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紺碧の将

泥に咲く美しい花

2016.11.26

%e7%8e%84%e4%be%91%e5%ae%97%e4%b9%85 『Japanist』次号の対談を終えた。ゲストは禅僧で芥川賞作家の玄侑宗久氏。かねてから会いたいと願っていた人である。

〝ナマ〟の玄侑さん、期待にたがわず、スゴイ人だった。ひとことでいえば、本質直結型。そうなりえたのは、豊富な人生体験による。なにしろ、高校時代は統一教会、モルモン教会、天理教会の門を叩き、大学進学のため上京してからはイスラム教会のモスクやものみの塔の門も叩いた。宗教の全体像が見たかったのだという。どの宗教にも共通する普遍性が必ずあるはず。それが何なのか知りたかった、と。
 いろいろな宗教を体験して得た答えは「変性意識状態」だった。つまり、瞑想状態だ。であれば、禅宗はそれ自体がテーマであるのだからこの道に間違いはないという結論に達したという。
 彼の真髄はさまざまな宗教の門を叩いただけではない。土方の仕事やゴミ焼却場、はてはナイトクラブのフロアマネージャーまでしたというのだから驚きである。
 だからこその「玄侑宗久」だろう。世の中の隅々まで知らなければ出せない雰囲気を醸している。言い方を変えれば、そういうことを知らない人にたいそうなことを言われても、「?」という気持ちになってしまう。「ほんとうに社会のこと、わかってるの?」と。玄侑さんの社会の見方、人間観察はじつにユニークだ。聞きかじりや受け売りがない。
 東日本大震災の後、福島県に対する風評被害を払拭せんがため、取材を受けるたび独自の見解を述べたが、なぜか苛烈なバッシングに遭った。なぜ、あれほどの批判を受けたのか。事実、福島県の放射線の数値は全国の他の都市と比べ、高くはなかったのだから。おそらく、福島県の放射線の値が高くないと困る人がいるのだろう。彼らは御用学者を利用し、福島県「だけ」が放射能に汚染されていると言い張った。
%e7%8e%84%e4%be%91%e5%ae%97%e4%b9%85%e5%af%be%e8%ab%87%e9%a2%a8%e6%99%af しかし、そういう話は対談ではとりあげなかった。もっと聞きたいことがあったからだ。
 どんな話が出たか、ここでは詳しく書かないが、ホスト役の中田宏氏はかなり頭の筋肉に汗をかいたことと思う。なにしろ、禅僧らしく、思考法が柔軟で、どこから弾が飛んでくるかわからない。中田さんの人間ファイルにはいないタイプだろう。

 

 ところで、私は玄侑さんの著書をたくさん読んでいる。最初はもちろん、芥川賞受賞作品となった『中陰の花』だ。その後、禅語に関する本や荘子の本など、どれも独特だが、やはり真骨頂は小説だ。
 3.11をテーマにした『光の山』と『化蝶散華』がお薦めである。特に後者は、玄侑さんの体験が色濃く表現されている(と思う)。
 無粋とは思いつつ、取材の最後にこう訊いた。「化蝶散華はご自身の体験に基づいているのですか」と。玄侑さんは笑いながら「ノーコメントです」と答えた。真の答えは、その笑顔にあった(と思う)。
 おそらく、その作品に類することをたくさんなさったのだと思う。金融商品に手を出して失敗し、けっこう多くの女性も泣かせた(にちがいない)。一般に「金、女」と書くと悪いことのように受け取る人が多いが、実は人生で最も大切なことのひとつだと思う。もうひとつ「酒」が加わったら、最強の社会勉強アイテムだ。
 私は昨年、『化蝶散華』を単行本で読んだが、文庫本には『宴』という作品が収録されていると知り、さっそく買い求めて読んだ。
 素晴らしい! 事情があって納骨できない夫の骨を、桜の季節、法要の席で食べてしまうというストーリーだ。骨を調理する場面や、法要を取り仕切った僧侶の心理描写など、まさに傑作という以外にない。
 どうしてこういう作品が描けるのだろう?
 泥に咲いた花だからだろう。
 この人のすべての著作を読みたい。久しぶりにそう思わせてくれる人に会った。
(161126 第682回 写真上は福聚寺近辺の地形を説明する玄侑宗久氏、下は対談風景)

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