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自分が好きなことを見つけて無我夢中で取り組み、ひとつずつ目標をクリアする。そうやって愉しみながら、自分という人間をぶ厚くしていく……。今がベストで、未来には未知の楽しみがある。これが、多樂の本質である、と『多樂スパイラル』のまえがきで書いたが、その原理原則は今も変わっていない。

日々の生活のなかで、森羅万象に潜む多樂をいかに味わうか。心に映りゆくよしなごとを書き留めておこう。それが読者の方々にとって、なんらかのスパイスになればとの願いもこめて…。

 

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武田勝頼の無念

2016.09.23

新府城天守跡 今年の夏、甲斐駒ヶ岳から下山した後、山梨県韮崎市にある新府城跡を訪れた。

 じつは20年ほど前、たまたま通りかかったことがある。その時は一帯が草ぼうぼうで、中に入ろうにも雑草に邪魔をされて断念せざるをえなかったほど荒れていたが、今年は多くの観光のぼり旗がはためいていた。どうやらNHKの大河ドラマに武田勝頼が出ているらしい。私は大河ドラマを見ていないため、どのように描かれているかわからないが、いずれにしてもかつての様子とは一変していた。
 武田信玄が好きである。
 どうしてなのだろう。信長、秀吉、家康は好き嫌いを超えた「別格」だが、信玄は彼らとは違った存在だ。ライバルとしてよく引き合いに出される上杉謙信はたしかに「義の人」らしいが、私はあまり惹かれない。
 妙な連想かもしれないが、信玄は『ゴッドファーザー』のマイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)にかぶってしまう。蛇足ながら、『ゴッドファーザー』3部作は私が最も好きな映画のひとつである(とりわけパート2)。
新府城想定復元図 マイケルはファミリーを守ることで、孤独になっていく。一家を裏切った気弱な兄を殺し、妻に見放される。
 信玄も因果な人だ。お家のためとはいえ、実父を追放し、長子を幽閉し、死なせてしまった。これ以上の不幸があるだろうか。
 しかし、反面、部下には恵まれた。「武田二十四将」は有名だが、身内に対する冷酷さが、部下の信用を得た理由のひとつかもしれない。そうだとすると、これまた因果な話だ。
 さておき、信玄は新府城に住んだことはない。彼が没した後、家督を継いだ勝頼は長篠の合戦に敗れ、躑躅崎の館では敵の来襲を防ぐことはできないと判断し、急遽、天険の地に築城を始めたのである。
 しかし、勝頼が新府城を居城としたのはわずか68日間。状勢不利と見て城を焼き放ち、野戦に出たが、織田方の滝川一益に敗れた。
 ヤナセ自動車を設立した簗瀬氏は幼い頃、父親から「おまえは勝頼だ!」と叱責されたと語ったことがあった。勝頼に喩えられるということは、親が築いたものを潰す、ろくでもない息子という意味だ。その悔しさをバネにしたという。
 はたして勝頼はどんな器だったのか。私にはわからない。ただ、信玄に思い入れがあるだけに、彼の生涯を思うと、その無念さが伝わってくるのである。側室の子という出生もなんらかの影響があっただろう。  
 信玄が「我が死して三年の間、秘せよ」と言ったことが、黒澤明の『影武者』の着想につながっているが、もしそれが本当だとすれば、信玄も勝頼を〝器〟ではないと見切っていたのにちがいない。
(160923 第666回 写真上は新府城の天守閣跡。下は新府城想定復元図)

 

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