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紺碧の将

サムライへの第一歩

2016.09.03

サムライ近藤隆雄 まだまだ暑いさなか、アツイ男による熱い会合に出席した。

 本ブログでもたびたび登場する近藤隆雄氏(『Japanist』連載中)主宰・サムライ塾第5期の開講式のオブザーバーとして、私と山田宏氏が招かれた。
 いや〜、熱いのなんのって。
 前回は〝暑い〟話題だったが、今回は〝熱い〟話題。ご容赦を。
 まず、サムライ塾について、簡単に紹介したい。主旨は、「国際舞台で活躍できるチェンジリーダーを養成する」。
 なぜ、チェンジか? バドワイザージャパンのトップとして国際ビジネスの舞台で勇躍した近藤氏は、禅やシェークスピアにも通暁する〝跳ねっ返り〟でもある(おっと、失礼)。
 自然の運行がそうであるように、永遠に変わらないものはない。しかし、変わらないもの(千古不易)があるからこそ、周辺が変われるともいえる。宇宙の摂理はいささかも変わらないが、それを中心として周辺の諸々は常に変化し続けている。宇宙の一部分である人間もまたしかり。だからこそ、変わることを怖れる人はリーダーにはなれない。そんな意味ではないかと忖度している。
 近藤氏が若きサムライ志願者たちへ宛てたメッセージを、ご本人の承諾を得た上で付記する。

 

──人生が本当は無限因果の「複雑系」システムであると喝破したのは釈迦である。ネットワーキング、コネクティビティーなど、少しも新しくない。全ては変わる。「常変無定」こそ、この世の根本原理である。その諸行無常をどう生きるのか。
 大企業に勤めろという親も、過去発想でガチガチに縛られた学校教育も、企業研修も、この変化の時代をどう生きるのか、何も教えてはくれない。
 教育は無力だ。「継続は力」と言われ90年代以降日本は漂流した。  
 この20年以上、日本がしかるべきリーダーを育てていたならば、日本は、アメリカにも中国にも何へつらうことのない対等・平等の国に、余裕をもってなれたはずである。日本の企業は、世界の大企業に伍していたはずではないか。
「継続は力」を疑え。国も会社も何も頼りにできない21世紀の「乱世」をどう生きたらいいのか。私たちはただ一つ、自分を信じてこの変化の時代を生き抜かなければならない。
 常変の世を生きるために、釈迦はこだわりを「捨てろ」と教えた。この変化の時代を生き抜くには、「変化力」こそ力である。
 過去へのこだわりを捨てる、それは乱世の変化を「味方」にすることである。サーフィンと同じ、波を味方にして、それに乗ることである。
 我々は、変化の時代を生き抜く「哲学」を、自分自身で学ばなければならない。幕末の日本を救ったのは、ほんの一握りの若き日本人、チェンジリーダーたちであった。21世紀の日本に、また一握りのチェンジリーダーが生まれるとき、日本は変わる。
 僕の使命は日本にチェンジリーダーを育てることである。

 

 どうです? 熱いでしょう?
 でも、こういう並外れた本気が社会を変えると信じている。
 第5期生として新しく参加した10数人の若者たち。おそらく大半が30代か。みな、毛並みが良くて、そこそこ学校の勉強はできたのだろうと思う。少なくとも私よりは。
 しかし、一見して軸が定まらず、人間の幅が感じられないのはどうしたことか。情報収集には聡いが、リベラルアーツには疎そうだ。
 そういう彼らだが、自分を変えようという意識と一歩踏み出した行動力は称賛したい。なにごとも、それが始まりだ。
 さて、これからの数ヶ月で彼らはどう変わるか。ぜひとも、たくましく変わった姿を見てみたい。
 私は、「どんなに素晴らしい塾やセミナーでも、参加しただけで変われるはずがない。要はこういう機会を活かして、いかに自分の生活習慣を見直し、愚直にやり続けるかだ。だから、成果はすぐには現れない。月曜日から金曜日まで仕事をして週末は休むという、戦後、サラリーマンの間に定着した悪しきルールのままに生きているようでは事はなし遂げられない」と話した。
 サムライ塾は「公のためにを生きる」を標榜している。しかし、公の前に、いかに自己の軸を確立するか、それが大切だ。
 それにしても興味深かったのは、OBも含め、男ばかりだったこと。今や登山、釣り、カメラなど、男が優勢だったジャンルへの女性の進出が著しいが、サムライ塾だけはさすがの現代女性も二の足を踏んでいるようだ。若い女性を寄せつけない近藤氏、それだけで素敵です。
(160903 第662回 写真は日本を背負い、気炎を上げる近藤氏)

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