多樂スパイス
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自分が好きなことを見つけて無我夢中で取り組み、ひとつずつ目標をクリアする。そうやって愉しみながら、自分という人間をぶ厚くしていく……。今がベストで、未来には未知の楽しみがある。これが、多樂の本質である、と『多樂スパイラル』のまえがきで書いたが、その原理原則は今も変わっていない。

日々の生活のなかで、森羅万象に潜む多樂をいかに味わうか。心に映りゆくよしなごとを書き留めておこう。それが読者の方々にとって、なんらかのスパイスになればとの願いもこめて…。

 

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いいお寺とそうでないお寺

2015.06.28

建仁寺の龍 お寺や神社は人の心の拠り所になりえる場所だから良い悪いの判断は馴染まないかもしれない。しかし、実際、いろいろな寺社仏閣を巡っていると、どうしても「良いかそうでないか」、あるいは「好きかそうでないか」に分かれてしまう。

 以前、金閣寺で見たお守り・お土産の自動販売機にはほんとうに驚かされた。それもケバケバしいデザインが施された自動販売機なのだ。商魂たくましいというようなレベルを超えていて、がっかりした覚えがある。

 

 建仁寺と妙心寺を訪ねた。
 建仁寺は臨済宗の祖・栄西禅師が開祖で、京都最古の禅寺でもある。あの俵屋宗達の『風神雷神図』でも有名だ。ちなみに、風神雷神図は尾形光琳や酒井抱一も描いているが、なんといっても宗達には及ばない。以前、3枚を同時に見たことがあるが、構図や筆の力など、一頭抜けている。やはり宗達はただ者ではない。
 『風神雷神図』はレプリカが展示されているが、おそらくそれを作成したのは以前『Japanist』でご紹介した箔工芸作家の裕人礫翔さんだろう。その作品の隣に鎮座しているのが、これまた『Japanist』でご紹介したダウン症の書家・金澤翔子ちゃんの『風神雷神図』だ。こちらは本物である。2つの作品が並べられている間は、なかなか見物だ。
 もうひとつ、見所がある。発堂(はっとう)の天井に描かれた小泉淳作の『双龍図』だ(写真上)。ちょっとユーモラスな顔の表情が印象的だ。
 建仁寺の方丈は、これまで見たなかでもっとも心が落ち着く。龍安寺のそれは容易に人を寄せ付けない怜悧な厳しさがあるが、ここの枯山水は深い安寧を覚えるのだ。緑溢れる境内もいい。茶室がいい状態で保存されている(写真下)。境内を歩くだけで心が満たされる。
建仁寺の庭 建仁寺を出た後、妙心寺へ行った。境内はかなり広いと聞いていたが、心に迫ってこないのはそればかりではないのだろう。風景が良くない。緑が少ない上、どこを見ても一幅の絵になっていない。
 それでも、このお寺にはあの狩野探幽が描いた『雲龍図』(重要文化財)がある。見る角度によって、龍の表情や動きが変わるという仕掛けのこの絵を見られればそれでいいと思っていた。
 なんと、拝観するには時間毎に決められた「ツアー」に参加しなければなならい。旗こそ掲げていないものの、ツアーガイド然とした年輩の女性に従って、金魚のフンのようにぞろぞろついて行く。『雲龍図』がある法堂の中に入すと、マイクを使ってガイドが説明を始める。その第一声でしらけてしまった。妙心寺について、「臨済宗12派の中で最大を誇る」と言ったのだ。なにが最大なのかわからないが、数や威を誇るのは禅にあるまじき態度。次いで、雲龍図の説明をしてくれた。それはそれでいいのだが、ひととおりそれが終わると、「はい、次へ」という具合に退去を促される。たしかに狩野探幽の龍は小泉淳作など及びではないというくらい凄まじいオーラを放っている。しかし、静かにじっくり見たいという希望は受け容れられない。
 そのような調子で、次の目的地(明智光秀が残していったお金で作ったとされる蒸し風呂)へ向かったが、そこでもツアーの雰囲気はそのままだった。
 もちろん、そういう見方がいいという御人もいるだろう。でもなあ……。しっくりこないというか、これが禅寺のあり方なのかなあと大いに疑問を抱きながら帰ってきたという顛末である。
 妙心寺にもいいところはたくさんあると思う。それが見えなかったというだけの話かと自分を納得させている。
(150628 第563回)

 

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