多樂スパイス
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自分が好きなことを見つけて無我夢中で取り組み、ひとつずつ目標をクリアする。そうやって愉しみながら、自分という人間をぶ厚くしていく……。今がベストで、未来には未知の楽しみがある。これが、多樂の本質である、と『多樂スパイラル』のまえがきで書いたが、その原理原則は今も変わっていない。

日々の生活のなかで、森羅万象に潜む多樂をいかに味わうか。心に映りゆくよしなごとを書き留めておこう。それが読者の方々にとって、なんらかのスパイスになればとの願いもこめて…。

 

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命の終わりと始まり

2015.05.24

多楽塾2 地球はエネルギーの塊だ。ふだん、ほとんどの人はそれを忘れているが、もし地球がプラスチックのような無機物だったとしたら、はたしてわれわれはこうして生きていられるだろうか。

 地球に根を下ろし、あらゆる生き物の成長を助けてくれるのが植物である。私は「植物は尊敬されなければならない」とつねづね言っているが、その思いは強くなるばかりだ。
 今月の多樂塾(月1回開催@神楽サロン)は、盆栽家の森前誠二氏をゲストに招いて、いろいろな質問をぶつけた。森前さんは『Japanist』でもご紹介しているが、日本文化の真髄を深いところで理解されている数少ない方だ。それもこれも、机上の学問ではなく、盆栽という現場を通して学んだ「実学」をベースにしているからだろう。
 こうおっしゃった。「私は盆栽家ではありますが、盆栽作家ではありません」。作品を創っているなどとはおこがましいというわけだ。あくまでも木の手入れをしているのだと。
 とはいえ、鉢のなかで数百年も生きている盆栽をきちんとケアし、その木に合った姿形にするのは容易ではない。並々ならぬ愛がなかったら、けっしてできることではない。
 森前さんは、自身と盆栽との関わり、そして、植物の本質を語ってくれた。
 最後に、数人の歴史上の人物についてどう思っているか、即興でコメントを聞かせていただいた。千利休、松平不昧、小堀遠州、岡倉天心、原三渓、増田鈍翁、松下幸之助、川端康成。
 驚くことに、それらの人物の背景と功績、そして彼らに対する自分の評価を、寸分の淀みもなく語ったことだ。これには参加者全員が唖然とさせられた。その上で、日本の文化史上、特筆すべきは足利義満や世阿弥など、東山文化を創り上げた人たちだと結んだ。足利幕府が政権維持とはまったく関係ないところで芸術振興を図ったことの意義についても言及した。
 こういう人こそ、ほんとうの文化人だと思う。

 

那波多目功一展 5月23日(土)から、横浜のそごう美術館で「那波多目功一展」が開催されている。
 『Japanist』を創刊するとき、その時点で「最高」と思える人物に取材しようと思った。その結果、美術では那波多目氏を選んだ(対談では千玄室氏、リーダーでは山田宏氏)。なんといっても、那波多目氏は日本美術院の重鎮であり、現代日本画界の本流でもある。特に私は牡丹をモチーフにした作品が好きで、ぜひとも取材したいと思っていた。幸いにも、当時知名度ゼロの雑誌だったが快く取材を引き受けてくださった。さらに、いまではサポーターとしてお名前を連ねてくださっている。
 レセプションの席上、那波多目氏の師匠である松尾敏男氏がいみじくもこう言っていた。
 「世に美しいだけの花鳥風月画はたくさんあるが、那波多目さんのそれは暗く、おどろおどろしくて、そこに妖艶な白い花びらが浮かんでいる。他のだれもが描いていなかった花鳥風月画を描いている」と。
 私は那波多目氏の植物画を観るたび、深い感銘を受ける。命というのは、終わりがあって始まるのだなと。そういう当たり前のことを一枚の絵で表現している悠大な時空間なのだ。
 そして、植物の偉大な力を思い知る。彼らはひっそりと息をし、われわれが必要とする力を与えてくれている。
 同展には那波多目氏の代表作が集結している。会期は6月21日まで。何度でも足を運んでいただきたい。
(150524 第558回 写真上は多樂塾での風景、下は「那波多目功一展」の図録表紙)

 

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