多樂スパイス
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What's TarakuSpice?

自分が好きなことを見つけて無我夢中で取り組み、ひとつずつ目標をクリアする。そうやって愉しみながら、自分という人間をぶ厚くしていく……。今がベストで、未来には未知の楽しみがある。これが、多樂の本質である、と『多樂スパイラル』のまえがきで書いたが、その原理原則は今も変わっていない。

日々の生活のなかで、森羅万象に潜む多樂をいかに味わうか。心に映りゆくよしなごとを書き留めておこう。それが読者の方々にとって、なんらかのスパイスになればとの願いもこめて…。

 

Blog TarakuSpice

一年前より前へ

2014.12.31

瞑想する海 初詣に行かないかわり、大晦日に参拝する。一年間つつがなく過ごせたことに感謝するためだ。本日も家族そろって明治神宮に参拝する。

 大晦日から元旦にかけて各地の由緒ある神社は初詣客でごったがえす。人混みが嫌いという理由もあるが、私が初詣をしない理由が別にある。せっかく社に行って神様にお願いをするのだから、自分のことより広く社会のことについて願いたいと思うのだ。本来、初詣は「お礼参拝」だ。だから、そういう心持ちになれる環境のなかで参拝したい。
 自分のことを願うのはいいと思うが、先に自分や身内のことから入るのはなんとなく自己中心的だと思う。ま、日本の神様は寛容だから、自己都合の「神頼み」も聞いてくれるかもしれないが。
 さて、2014年はどんな年だったか。昨年の大晦日のブログに私はこう書いている。

「今年はどんな一年だった?」とペットの海に訊かれて、「ここ十数年、今年が今まででいちばんいい年だったと思いながら大晦日を迎えているけど、今年もそうだったよ」と答えた。

 今年もまったく同じ気持ちである。
 私は常々、「半年前と比べて成長しているという実感がなかったらダメだ」と言っている。人間は時とともに成長するようにできていると思っているからだ。
 一年を振り返るといろいろな変化があったが、まずは継続できたことを喜びたい。ひとつは会社であり、ひとつは『Japanist』である。
 27歳のときに起こした会社は、もうすぐ28年になる。怖いもの知らずのあの若者がここまで続けられるとは思いもしなかった。しかも、世のなかの経営法とは明らかに一線を画すスタイルで。
 『Japanist』はスタートしてから6年が経過した。「高久さんは資産家なんですか」と幾度も聞かれたことがあるが、その理由は『Japanist』のような広告のないクオリティマガジンを発行し続けているからだという。貧乏臭く見られるよりはいいと思っているが、残念ながら私は資産家でもなんでもない。『Japanist』は一人もスタッフを抱えておらず、私は無給だ。だからこそ続けられるのだが、そういう状態を維持できることに驚くのだろう。
 たしかに金銭的には報われない仕事だ。しかし、はじめから報酬を目的とした仕事ではないのでまったく不満はない。それに、狙ってやったわけではないが、ありあまるほどの副産物をいただいているということはすでに何度も書いている通り。
 昨年1月に開講した多樂塾も丸2年を終えた。「本質・本源を求める」という、雲をつかむようなテーマにつきあってくれている塾生の皆さんに感謝したい。おかげで、講義を進めながらさらに意味を深めることができた。
 同じような波長をもった人たちが自然に集ってきたという現象も『Japanist』と相似している。年齢、性別、職業、居住地などさまざまだが、根底に同じ水脈をもつ人たちだ。講義が終わってから、みんなと飲む酒は格別に旨い。どの会話を区切っても、せせこましくないのだ。ほんとうに素晴らしい仲間を得ることができたと思っている。
 私は50歳になるまで、師はいないと思っていた。
 ところが、東洋思想家の田口佳史先生に出会い、直に教えていただく機会を得た。それだけでもとてつもない僥倖だが、今年は小説家の内海隆一郎先生にも師事することになった。文章に「完璧」はないが、自分の新たな世界を拓くべく、厳しくも温かいご指導をいただいている。
 前々回の小欄で書いたように、市谷田町の外堀通り沿いに「Chinoma」を開設した。まさしく〝知の間〟になるよう、いろいろと展開を考えているところである。『Japanist』も多樂塾もそうであるように、いい場がいい人を呼び寄せ、いい流れになる。その拠点としてうまく機能させたい。
 これまでの『Japanist』の記事を42本まとめた豪華本、『The Essence of Japan』を刊行することができた。安売りばかりが幅を利かす現代において、95,000円(税別)というのはかなり思い切ったプライシングだが、これはビジネスパートナーの奥山秀朗氏の目指す方向でもあり、挑戦でもある。ブックケースはあのエアロコンセプト。書籍であって、美術品のような存在感を出したかった。ハウツーもののような即物的な本が多い時代にあって、正反対の本を編むことができたことは今年の大きな成果であろう。
 また、2年がかりで執筆・編集を進めていた『SHOKUNIN 職人・菅野敬一の生き方』も完成させることができた。こちらも美的な本づくりを目指した。菅野氏の哲学に併せ、私の価値観も盛り込ませていただいた。
 くわえて広島の木原伸雄氏のご依頼で、昨年の『Takenoko』に続き、掃除の活動をまとめたムック『Souji』も発行することができた。掃除と日本人は切っても切り離せない関係だが、そのことをあらためて痛感することになった。
 毎年恒例の登山は、常念岳と鳥海山へ。今年はかなり体力が上がったので、例年より楽に登ることができた。
 昨年から禅語を覚えている。ただ覚えるのではなく、正確に書くということをしながら。人間の記憶は案外いいかげんで、覚えたつもりでも正確に書くことができない場合が多い。だから、何度も何度も書く。
 覚えたから何なの? 坐禅は組まないの? という声もあるだろう。なにしろ禅は「不立文字」が基本だ。しかし、私は15秒くらいしか正座できないし、鈴木大拙が「不立文字を理解するには多くの言葉が必要だ」と言っているように、まず言葉から大意をつかむことは有効だと思っている。だいたいの方向性を得ることができれば、日常のなかでその言葉の意味に気づくことがある。知らなければ、なんにも始まらない。禅は「知る」ということも否定的にとらえているようだが、それを額面通りにとってはいけない。まずは、そういうものの見方があるのだということを知る。それを起点にして思考を広げればいい。今覚えているのは352語。記憶力は歳とともに減退すると言われているが、私の場合は明らかに増している。
 今年は運動量を増やしたおかげか、20年来保ってきた体重が3キロほど軽くなり、体調がすこぶるいい。職業病だとあきらめていた肩こりも嘘のように消えてしまった。
 2日に1回、新宿御苑の中を走っているが、自分に課していることがある。それは、前回より少しでもいいから距離を伸ばすこと。前日酒を飲みすぎて体調が悪くても前回より長く走る。これを続ければ、なんらかの進歩を得られる。自分を信用することもできる。
 やはり、すべての根源は本質的な食事と適度な運動だ。そして、肯定的な気持ちを保つこと。そうではなくなったとき、その人に危険を知らせるために病気が現れる。つまり、病気は「信号」なのだ。
 他にも特筆すべきはいろいろある。が、このへんで。
 今年も前進した。だから、若い頃に戻りたいとは髪の毛の先ほども思わない。
 来年も大きな変化が目白押しだ。変化のない人生は退屈だ。変化することを心から楽しみたい。
(141231 第537回 写真は瞑想中の海)

 

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