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紺碧の将

たった一人の思いと行動で、社会は変わる

2013.12.26

プリント 以前、広島での肋骨ヒビ割れ事件のことを書いた小欄でもふれたが、「親子農業体験塾 志路・竹の子学園」の10年の軌跡をまとめたムック(BookとMagazineの要素を兼ね備えたという意)の編集を進めてきた。それが、12月27日、完成する。

 このムック『Takenoko』は、同塾の主宰者・木原伸雄氏の依頼により、『Japanist』のスタイルを踏襲したもので、表紙込みで全84ページ。中田宏氏との対談記事や取材記事、木原氏が『Japanist』に連載していた記事の再録もある。

 このムックを編集しながらあらためて思った。「一人の人間の思いと行動は、こうも社会を変えるのだな」と。

 鍵山秀三郎氏に心酔し、各地で清掃活動をしていた木原氏は、ある日、鍵山氏にこう言われる。「自分とともに掃除ツアーに参加するのも良いが、自分たちの地域や家庭でそれを実践して、掃除の素晴らしさを伝え、活動を広げてほしい」と。

 その言葉で開眼した木原氏は、以後、社業の傍ら、地域の清掃活動に勤しむ。それは、自らを厳しく律した清掃活動であり、聞いているだけでめまいがしそうだった。そのようにして地域との交流を深めながら、ある懸念を抱くようになる。ゆとり教育そのものの理念は肯定できるが、実際に蓋を開けてみれば、「ゆとり」は「放置」に置き換えられ、親も教師も地域社会も子供を放っておくだけだ。これでは、子供たちの将来が不安だと危機感を抱いた木原氏は、親子で農業体験をすることによって子供たちの情操を育み、と同時に、家族の絆を深め、地域のお年寄りに活躍の場を与えることで生き甲斐を感じてもらえるような塾を開講しようと思い立つ。

 しかし、神様はそうやすやすと木原氏に行動のチャンスを与えなかった。なんと、直後に胃がんが見つかり、全摘手術を受けることになったのだ。時に、65歳。並みの人であれば、その時点で構想を断念しているだろう。

 退院後の木原氏は、前にも増して塾への情熱を傾けるようになった。収穫だけのレジャーではなく、毎月一回、親子で田植えから稲刈りまでを続けるには、それ相応の準備が必要だが、地域の人たちの力を借りながら、そのような仕組みをつくってしまった。

 「子どもは元気よく学び、

親は子どもの成長に目を細め、

お年寄りはやりがいを感じ、

そして、地域がひとつになった。」

 は、同誌の表3につけたコピーだが、まさにその通りだと思う。

 

 少し長くなってしまうが、「人生の先輩が示してくれたお手本」と題し、あとがきで私はこう書いた。

——新聞やテレビの報道に接すると、劣化する日本人の姿を嫌と言うほど思い知らされるが、私の周りは素晴らしい人や愛すべき人ばかりだ。なかでも木原伸雄氏は尊敬すべき人の筆頭といっていい。

  若い頃は考えもしないが、人は誰でも老いて、そして生涯を閉じる。最近、〝終活〟なる言葉があちこちで聞かれるが、要するに人生の終盤において、どのような生き方をすべきか、多くの人が模索しているのだと思う。

 木原氏の行いは、あり余るほど多くの示唆を含んでいる。すべての人の〝お手本〟でさえあると思っている。現役時代に培った知恵や知識や人脈を活かし、世の中の役に立つことをする。こう言葉で書いてしまうと簡単なようだが、じつは実行に移すのは容易くない。その証拠に、団塊の世代が定年を迎え、セカンドステージに移行しているが、その多くは人生のギアチェンジに成功しているとは思えない。

  それまでがむしゃらに働いてきたのだから、しばし羽を休めることもいいだろう。しかし、安楽に過ごすことや趣味だけでは早晩、飽きがくる。世の中に取り残されるという無力感や焦燥感に苛まれ、他人の力を借りて〝終活〟をしなければいけないような事態になっている。

 それでは、なんのための人生か。〝終わり良ければすべて良し〟という諺があるように、ものごとの最終章は大切だ。

 木原氏が何をどう考え、どのように実行に移し、その結果、社会がどのように変わったのかは、本誌の取材記事を読んでいただければわかるはず。そこには、ハウツーもの百冊分にも相当する、盛りだくさんの知恵と勇気と愛情が示されている。そういう方と知己を得たことを心から光栄に思う。——

  このムックは、そんな木原氏の思いが凝縮されたものだと自負している。

(131226 第476回)

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