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自分が好きなことを見つけて無我夢中で取り組み、ひとつずつ目標をクリアする。そうやって愉しみながら、自分という人間をぶ厚くしていく……。今がベストで、未来には未知の楽しみがある。これが、多樂の本質である、と『多樂スパイラル』のまえがきで書いたが、その原理原則は今も変わっていない。

日々の生活のなかで、森羅万象に潜む多樂をいかに味わうか。心に映りゆくよしなごとを書き留めておこう。それが読者の方々にとって、なんらかのスパイスになればとの願いもこめて…。

 

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なにゆえ良寛さんは……

2013.12.22

五合庵 かねてから行きたいと思っていた五合庵を訪れた。

 良寛さんは、数年前まで、私の〝偉人範疇〟にはまったくかすりもしなかった人物だ。好きになれる要素がほとんどなかった。

 良寛さん以外にもピンとこない人はたくさんいた。有名どころでは、太宰治。文体がくどいこともさることながら、好きな女と無理心中しながら自分だけ助かるという行状がまず許せない。と、このテーマで書き始めるときりがないので良寛さんに話題を戻す。

 思わず、〝良寛さん〟と書いてしまったが、私の恩師・田口先生の言葉を借りれば、「グズでノロマで気弱」。それだけを聞くと、どうしようもない人だ。ところが、その先がある。「それを突きつめると、無類の優しさになる」。

 そうか、グズでノロマで気弱だったから優しくなれたのか、と新鮮なショックを覚えた。けっしてそうなりたいわけではないが、そういう人がいたということが驚きだった。しかも、後生に名が残っている。

 最近、自然体で生きるということがどういうことなのか、しばしば考える。もちろん、私の考える自然体は、良寛さんのそれとは著しく異なる。そもそも良寛さんに憧れてもいない。しかし、関心の外に放っておけないというのも事実だ。気になってしまうのだよ、良寛さんは。

 そう思うようになったのは、田口先生の良寛評をお聞きした後、良寛さんの書を見てからだ。なんと屈託がなく、作為もなく、泰然自若としているのだろう。その字を見ただけで、彼の心の風景が見えるような気がした。極端な言い方をすれば、小学生の字のようでありながら、卓越した人の字でもある。書は人なりというが、川端康成の対極になるような字だ。

 ところで、五合庵だった。

 新潟県は出雲崎の近く、国上山の中腹、国上寺への途中にある、簡素な茅葺きの庵である(写真右上)。諸国行脚の末、故郷に戻った良寛さんが、39歳頃から約20年間暮らした庵で、まさに『方丈記』さながらに質素でこじんまりとしている。そこに暮らし、時に詩歌を詠み、時に書をたしなみ、時に座禅をし(いちおう禅僧だから)、時に托鉢に出かけたという。

 訪れた時は、冷たい驟雨が降っていた。まだ本格的な冬の到来までは間があったが、すでに寒さは体の芯まで忍び寄ってきた。北陸の冬は想像を絶するものがある。エアコンも床暖房もない粗末な庵で、どうやって良寛さんは暮らしたのか(いちおう、冗談のつもりで書いたが、半分くらい本気である)。つくづく、お坊さんのマネは絶対にできないと思い知った。

 五合庵を訪ねた足で、出雲崎にある良寛記念館にも訪れた。良寛さんが書いた書をひと目見たくて……。

日本海の町並み その帰り道、高台から北国街道に出る際、目に飛び込んできた民家の風景がこれまた驚きだった。なんと、民家と民家がひしめき合い、軒先がピッタリとくっついているのだ。おそらく寒さをしのぐためか、雪対策なのだろう。こういう風景は、福田平八郎か誰かの絵で見たことがあるような気がしたが、実際に誰の絵か忘れてしまった。これじゃあ、家族の間のプライバシーもヘチマもあったもんじゃない。いや、だからこそ、そこに住む人たちの連帯感が増すのか。同じ日本にいながら、まったく異なる文化圏を覗いたような気がした。

 

 くがみ山岩の苔道ふみならし 幾たびわれは参りけらしも(良寛)

(131222 第475回 写真は良寛が住んでいた五合庵と出雲崎の民家の風景)

 

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