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紺碧の将

自分のなかに埋もれたダイヤを発掘するということは

2013.12.05

幸せの隠し味 このところ、弊社が関連した本の新刊ラッシュである。

 あかつきゆうこさんの『幸せの隠し味』が、上梓とあいなった。

 著者名はペンネームで、実名は関口暁子さん。「暁」をひらがにして姓にし、その対語である「夕」を名前にもってきたというあたりはなかなかのもんである。以前、弊社が発行していた『fooga』に掲載したエッセイ28篇と会員誌『PAVONE』に掲載された7篇、そして二十四節気について書いた小品24篇が収められている。表紙は、以前、『Japanst』でご紹介した日本画家の手塚雄二氏。じつに素晴らしい。文章と表紙の装幀がこのような形で結実するのは、私にとっても嬉しい限りだ。

 関口さんは、いま『Japanist』の巻頭対談記事などを書いている。貴重な戦力だが、じつは、あとがきで本人が書いているように、文章指導(らしきもの)をしたのは、不肖・私である。

 今から約9年前、彼女は『fooga』に広告を出稿してくれることになった会社の役員をしていて、広告の打ち合わせで会ったのが初対面。そのとき、喋るわ喋るわ、まるで口から先に生まれてきたかのように(実際、そうだったりして)マシンガンのごとく言葉を放った。その頃、私は音羽和紀シェフからアラン・シャペルについていろいろと聞かされていたので、この人に「アラン・シャベル(喋る)」という異名をつけようと密かに思ったくらいだ。

 喋りの合間の一瞬をついて、「ところで、あなたはこれから自分の人生をどうしたいのですか」と訊いた。これまでのことはもういいから、これからのことを聞かせてほしい、と。そこで、彼女は一瞬、淀んだ。

 その後、数週間たって、文章をしっかり書けるようになりたいと言ってきた。もともと文章を書くのが好きだったが、ずっと書いていない。だから、教えてほしいと。

 そんな風にして始まった文章修業だった。まず、私がテーマを与える。それについて書いてもらったワードをプリントし、添削をした後、ファックスをするという繰り返しが続いた。

 忘れもしない。最初の原稿を「添削不可能」と書いて送り返したことを。

 それまでにも、そして、それからも「文章を書きたい」と言ってきた人は少なくないが、そのほとんどが途中で頓挫している。実際、自分が思った通りに文章を書くのは、そう容易いことではない。だから、そのときも、それでヘソを曲げるようなら仕方がないと思っていた。べつにレッスン料をもらっているわけじゃないし、と(笑)。

 ところが、彼女は懸命に食いついてきた。私の指摘を素直に聞き入れ、何度も何度も書き直した。やがて、ある時期を境に急速に文章がうまくなってきたのがわかった。

 もともと素養はあったのだろう。すべての人が「頑張ったから、うまく書けるようになれる」とは断言できない。しかし、素養があっても、それを活かすべく努力をしなかったら、地中に埋もれたダイヤの原石と同じだ。まさに、関口女史は、自分で地中のダイヤを発掘し、磨きをかけたのだ。そして、今では、『Japanist』をはじめ、重要な戦力の一人として大いに助けていただいているのだから、じつに不思議だ。その当時は、こんなことになるなんて思ってもいなかったけど。

 よせがきで國武忠彦氏が、「周囲の空気をいっぱいに吸って生きている、そんな文章である」と書いているが、言い得て妙だと思う。「空気をいっぱいに吸う」ということは「学ぶ」ということだ。学ばなかったら、自分のなかに埋もれたダイヤの原石に気づくこともなければ、磨くこともできない。

 ところで、このブログを読み、「私も文章修業をしたい」という人が現れては困るので、あらかじめそう書いておきたい。いま、やるべきことが山積みで、そのために「やりたいこと」がなかなかできない状況にある。自分の役割を減らさなきゃいけないなと思いつつ、増えてしまう。

 ま、そういう時期なのだろうが……。

(131205 第471回)

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