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自分が好きなことを見つけて無我夢中で取り組み、ひとつずつ目標をクリアする。そうやって愉しみながら、自分という人間をぶ厚くしていく……。今がベストで、未来には未知の楽しみがある。これが、多樂の本質である、と『多樂スパイラル』のまえがきで書いたが、その原理原則は今も変わっていない。

日々の生活のなかで、森羅万象に潜む多樂をいかに味わうか。心に映りゆくよしなごとを書き留めておこう。それが読者の方々にとって、なんらかのスパイスになればとの願いもこめて…。

 

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蹂躙された歴史の証人

2013.08.25

カルコサ・スリネガラ 島根県松江市は、マンガ『はだしのゲン』を教師の許可がない限り、生徒が閲覧できないようにしたが、今、そのことが物議を醸している。

 ふだん、ほとんどマンガを読まない私だが、つい最近、NHKの番組でその存在を知った。広島での自身の被爆体験が創作のきっかけらしいが、「日本軍はアジアで3000万人を虐殺した」などと根拠のまったくない、妄想としか言いようのない表現が多かったり、時の昭和天皇を戦争遂行の首謀者と断定するなど、あまりにも歴史認識に乏しい表現が目立ち、松江市の判断は妥当だと言わざるをえない。

 そんなこともあって、大東亜戦争時の日本軍の行動や日本敗戦後のアジア情勢を調べていたら、ふと、カルコサ・スリネガラというマレーシアのホテルを思い出した。迎賓館にもなる特別なホテルで、まだ娘が幼い頃、家族で2泊したことがある。

 このホテルはカルコサ棟とスリネガラ棟に分かれている。全室スイートで、2棟合わせても13室しかない。1904年、イギリス統治時代の総督の邸宅としてつくられた。場所はクアラルンプールにあるレイクガーデン内の小高い丘の上で、周りには国会議事堂や国立記念碑が建ち並ぶ。

 ちなみに、私たちが宿泊した当時、アジアでバトラーがつくのはこのホテルだけだった。チェックインの日、ホテルに到着するや、クラーク・ベーブルもかくやと思わせる背の高いバトラーが現れ、予約してあるかどうかも私たちの名前も訊かず、慇懃な態度で部屋に案内してくれ、その後、ホテル全体を案内してくれた。

 エントランスの真上に、広いテラスがある。強い日差しを避けながら、風の通り道を遮らない、絶妙な設計が施されている。そのテラスの壁に2枚の大きな絵があった。一枚は1957年のマレーシア独立の調印式の風景。場所はそこカルコサ・スリネガラ。もう一枚は初代首相が独立宣言をしている風景だ。

 賢い読者はもうお気づきだろう。なんで1957年なの? と。日本が戦争に敗れたのは1945年。その後、アジア諸国は「解放」されたのではなかったの? と。

 日本がアジアを侵攻したとばかり思い込んでいる人はそう思ってもしかたないかもしれない。しかし、事実はちがう。日本が敗れた後、イギリスもフランスもオランダもソ連もアメリカも再びアジアに戻り、タイ以外の国々を征服してしまったのだ。マレーシアに限っていえば、12年間も再び圧政に苦しめられることになる。その間、連合国側は平然とした顔で東京裁判を続け、日本を断罪した。

 歴史は重層的、かつ複合的に見なければいけない。そういうプロセスの中から、自分の国の長所や短所が見えてくる。それをしない限り、同じ過ちを繰り返すことになる。左翼・右翼双方に欠けているのは、そういう物の見方だ。

 余談ながら、カルコサ・スリネガラには今上天皇皇后両陛下もお泊まりになっていて、バーの片隅にそのときのスナップが掲示されている。

 もうひとつ余談といえば、英国流のアフタヌーン・ティー。サンドウィッチもクッキーも甘いばかりで「?」という感じ。「これじゃあね」というオチになった。ただ、アフタヌーン・ティーを楽しむ場所から見える風景は、さながら一幅の絵画のようではあったが……。

 (130825 第448回 写真上は、カルコサ・スリネガラのカルコサ棟)

 

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