多樂スパイス
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自分が好きなことを見つけて無我夢中で取り組み、ひとつずつ目標をクリアする。そうやって愉しみながら、自分という人間をぶ厚くしていく……。今がベストで、未来には未知の楽しみがある。これが、多樂の本質である、と『多樂スパイラル』のまえがきで書いたが、その原理原則は今も変わっていない。

日々の生活のなかで、森羅万象に潜む多樂をいかに味わうか。心に映りゆくよしなごとを書き留めておこう。それが読者の方々にとって、なんらかのスパイスになればとの願いもこめて…。

 

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帰ってきた夕映え

2013.07.04

帰ってきた夕映え 「おかえり! 夕映え」

 3ヶ月ぶりに会う夕映えは、かなりスッキリしていた。

 例えていえば、見ているだけでこっちが酸欠になりそうな、あるいは蒸し暑くなりそうな太った人がいきなりスリムになったかのような……。

 何の話?

 ごめんごめん、ケヤキの盆栽の話であった。

 土が固くなり、苔も枯れてしまったので土の入れ替えをしてもらうため、森前誠二氏(『Japanist』第16号で紹介した盆栽作家)に預けていたのだ。

 「土の入れ替えはひな祭りの頃がいいですよ」と言われていたので、3月になってから、銀座にある「雨竹庵」に持って行ったのである。

 例年であれば、4月上旬、初めて緑の葉が出てきた時の感動を味わうはずであった。今回は仕方ないとあきらめ、若葉の季節を迎えた。それでもいっこうに連絡がない。

 もしや、重篤な状態になっているのではあるまいな。そう危惧しつつ、森前さんに訊くと、達者でいるとの返事。

 その後、ようやく6月下旬、私のもとに帰ってきてくれたのだ。

 

 植物とは不思議なものだ。すでに30歳を超していながらこんなに小さな木もいれば、新宿御苑のスズカケの木のように、胴回り数メートルもあって、さながら巨大な岩石のような風体の木もある。だが、大きくても小さくても、一定の年齢を重ねると妙な存在感を醸し出す。人間もそうだが、若いヤツにはけっしてないオーラが漂うのだ。

 

 盆栽は手間がかかる。観葉植物は2〜3日、水をあげなくても大丈夫だが(むしろ、あげ過ぎは根腐れの原因になる)、盆栽は毎日外に出し、水をあげなければいけない。夏になれば朝夕の2回、水やりが必要だ。

 だからこそなのか、面倒を見ているうちに愛着が湧く。いきおい、名前をつけ、心のなかでペラペラと語りかける。聞く耳をもっているかどうかは知らないが、なにかしらは伝わっているような気がする。

 「八風吹不動」(はっぷうふけどもどうぜず)。称賛されても批判されても、順境のときも逆境のときも、不動心を保つことが大切という意味の禅語だ。

 なるほどなあと思う。他人が褒めてくれるのを額面通りに受け取るのは野暮、批判を額面通りに受け取るのはもっと野暮ということか。

 「人はふつう褒められるためにしか褒めない」

 これは稀代のマキャヴェリスト、ロシュフコーの言葉だが、他人の言辞に惑わされない不動心を養うのは、案外難しいものだ。

 心を澄まし、夕映えの「人となり」を見ていると、その禅語の意味がおぼろげにわかってくる(という気がする)。

 まだまだ私は修業の身である。

 (130704 第436回 写真は、ケヤキの盆栽「夕映え」)

 

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