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紺碧の将

空虚なる中心

2013.04.15

天守台より丸の内 飛行機に乗って東京を見ると、日本的な光景にあらためて感心する。都心に広がるあまりにも広大な緑と、その周辺にひしめき合う建物の極端な対比だ。

 皇居とその東側に広がる皇居東御苑、新宿御苑、明治神宮御苑と代々木公園、神宮外苑、赤坂御料地を合わせると、いったいどれくらいの面積になるのだろうか。

 フランスの哲学者ロラン・バルトが、いみじくもそれを「空虚なる中心」と表現したが、経済にはほとんど寄与しない「ただの空間」が茫洋と広がっている(ように見える)のは、日本人以外には容易に理解できないのではないか。

 もちろん、大きな公園はどの都市にもある。ニューヨークのセントラルパークやパリのブローニュの森などがそうだが、どうやらそれらと上記のそれは趣がちがう。そもそも、一般人が踏み入れることのできないところがたくさんある。

 お気づきの方も多いだろうが、すべて皇室がらみの土地である。それらの土地は、いかな強欲な輩も手を出すことはできない。悪徳政治家をそそのかして開発してしまおうなどと考えるヤツもいない。簡単に言えば、国民共通のアンタッチャブルな空間なのだ。

 私は、そのことの意味は大きいと思う。つまり、合理性ではけっして計れない空間が首都に広がっているということ。こういうものが現代にも継がれているということが、日本という国の精神的支柱になっていることは火を見るより明らか。

 過日、皇居東御苑へ行った。桔梗門のすぐ近くにある富士見櫓は江戸城の遺構として現存する最古のものとして知られている。この石積みは、秀吉に仕えた加藤清正によるもので、近江の石工集団・穴太衆による典型的な穴太積。関東大震災のときも、まったく崩れなかったというほど強固だ。

 9代将軍家重の時代の図面をもとに復元した二の丸庭園は、小堀遠州の作と言われる。消失した天守閣があった場所に、今でも天守台があるが、そこに立って見る風景は、右上写真のように、江戸時代と現代が交差した不思議な光景。

 日本たる所以を探れば探るほど、奥が深くて迷宮にはまったかのようになる。

 

 ところでまったく話題は変わる。

 私もフェイスブックに登録しているが、その情報拡散能力に驚くとともに、いまいち解せないことがある。「いいね!」はあるのに、それ以外がないということだ。

 世の中にはいいことばかりではない。であれば、「悪いね!」があってもいいではないか。それがストレート過ぎるということであれば、「よくないね!」でもいい(同じか)。あるいは、もう少し、ソフトにして「可もなく不可もなしだね!」とか「ふつうだね!」とか。

 そういうことを考えること自体、おかしいのだろうか。わざわざ争いのタネをつくる必要はないということか。でも、「いいね!」以外の選択肢があった方が断然オモシロイと思うのは私だけだろうか。

 思えば、フェイスブックはアメリカ産だが、仕組みはきわめて日本的である。世界が「日本化」しているひとつの事例かもしれない。

(130415 第416回 写真は、天守台から見た丸の内方面)

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