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自分が好きなことを見つけて無我夢中で取り組み、ひとつずつ目標をクリアする。そうやって愉しみながら、自分という人間をぶ厚くしていく……。今がベストで、未来には未知の楽しみがある。これが、多樂の本質である、と『多樂スパイラル』のまえがきで書いたが、その原理原則は今も変わっていない。

日々の生活のなかで、森羅万象に潜む多樂をいかに味わうか。心に映りゆくよしなごとを書き留めておこう。それが読者の方々にとって、なんらかのスパイスになればとの願いもこめて…。

 

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宇都宮稲荷神社は鎌倉にあった

2007.11.17

 所用で鎌倉へ行き、若宮大路を歩いていた時、「宇都宮稲荷神社」という立て札が目に飛び込んできた。いちおう宇都宮に住む者として、無視できない状況である。立て札に誘われるように、小さな路地を曲がったのだった。

 そこには、宇都宮稲荷神社のいわれが書いてあった。

──宇都宮の名称は、1180年、源頼朝が鎌倉に幕府を開いた時、評定衆に列する重臣のご家人であった宇都宮朝綱がこの地に屋敷を構えたことにちなむ。

 朝綱は祖先・藤原通兼関白の曽孫・宗円が、日光山宇都宮神社の別当職にあったため、当地にその分霊を祀ったことによって稲荷神社を勧請して、宇都宮稲荷神社とした。

 宇都宮の姓は、藤原通兼(藤原道長の兄)の直系で、末孫・宗綱が宇都宮の姓を名乗ったことに始まる。

 宇都宮朝綱の孫・頼綱は、北條時政の女婿でもあるところから時政の娘・政子(頼朝の正室)と弟・義時と時政の確執により鎌倉を追われることとなった。

 ちなみに、宇都宮一族の先祖は藤原鎌足であり、下野国(現在の栃木県)の豪族であり、名だたる宗教家であり、さらには「鎌倉歌壇」とは違う京風の歌壇である「宇都宮歌壇」を有して、多士済々の人物を輩出している。──

 とまあ、こんなことが書かれている。

 宇都宮氏と鎌倉幕府の深い縁は聞いていたし、幕府軍の主要な地位を下野国の豪族が担っていたことも聞いていたが(それが後の足利尊氏などにつながるのだろうか)、具体的にどういう関係なのかまではわからなかった。

 ちなみに、宇都宮頼綱とは藤原定家の息子の嫁の父であり、藤原定家に『百人一首』を編ませた張本人である。『fooga』に歴史のコラムを書いている野口裕紀君によれば、当時、宇都宮頼綱は宇都宮と鎌倉の間を行ったり来たりしていたという。宇都宮頼綱という男は、宇都宮に居を張りながら、京都と鎌倉の接着剤のような役割も果たしていたようだ。

 さて、問題はわれわれ宇都宮市民によって縁の深い宇都宮氏の稲荷神社がなぜ鎌倉にあるのか、だ。宇都宮にもあるのかもしれないが、私の勉強不足で、定かではない。少なくとも、宇都宮市民の多くは、宇都宮頼綱のことをあまり知らないし、「宇都宮歌壇」なるものを作り、宇都宮から京都へ向けて『百人一首』を編ませたことなど露ほども教えられていない。自分たちの街の歴史を子々孫々に伝えるという大切なことを怠けていると言われても返す言葉はないだろう。

 歴史ある二荒山神社前に建設されたテナントビル及び建設予定の高層マンションに対して、私たちは反対を唱えているが、推進派の連中もこのことは聞かされていまい。

(071117 第22回 写真は宇都宮稲荷大明神 )

 

 

 

 

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