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紺碧の将

どこまでが人間の業か、線引きが難しい

2012.11.25

 いよいよ待ちに待った、新宿御苑大温室の開館となった。

 2010年5月、御苑に隣接した金美齢さんの事務所で対談の取材があり、窓から御苑を見下ろしながら、「今、工事中のあの建物は何でしょうね?」と話した記憶がある。その後、御苑のヘヴィーユーザーとなり、早く中を見てみたいものだと思っていた。つまり、2年強待ったことになる。

 結果から先に書けば、期待のわりに心躍るものはなかった。

 不自然だからかもしれない。

 大半は、熱帯や乾燥地帯など、この地の植生ではない植物ばかりが集められている。それまで雪を見たことのない南国の人間がいきなり毛皮の防寒具を着せられているような、あるいは、雪国の人間がいきなり裸族にさせられたかのような不自然さがあるのは否めない。

 もちろん、館内は適度な条件にコントロールされているので、数年も過ぎれば不自然さもなくなり、ずっと前からそこに生えていたかのような風情になるだろう。

 さまざまな植物を見ながら考えてしまった。「これも、人間の業なのだろうな」と。宮脇昭氏の言葉を待つまでもなく、潜在自然植生に思いっきり反している。植物たちにとっては、はなはだ迷惑にちがいない。明らかに自然に反したことなのだから、本来であれば開館したからといって喜んでいる場合ではない。

 しかし、そう簡単な話でもない。

 昨年の3.11以来、原発がやり玉にあがっているが、では、火力発電や水力発電がいいかと問われれば、あれらも明らかに反自然行為である。それどころか、自然再生エネルギーと呼ばれるものだって、よくよく考えてみれば自然の摂理に反している。地面を広大な太陽光パネルで覆ったり、巨大なプロペラが超低周波を発生させながらクルクル回り続けているのが「自然」だとはとうてい思えない。自動車も電車も飛行機も反自然なら、肥料をまいて短期間に収量を上げようとする農業も反自然だろうし、化粧をすることも延命治療をすることも反自然行為だ。

 しかし、それらをそうみなしてしまったら、人間の存在そのものが「反自然」となってしまう。「まさにその通り」と言う人もいるだろうが、要は「人間の業はどこまで許されるのか」という真摯なテーマを己に問い続け、その都度、適宜な答えを見つけることであろう。

 例えば、リーマンショック以降、金融に対する見方は厳しさを増しているが、金融そのものが悪いのではない。極端なレバレッジの効いた商品がまかり通り、一夜にして巨万の富を築く者がいる一方、その煽りを受ける人が大勢いるというバランスの欠如が問題なのだ。木を見て、森を見失ってはいけない。

 

 私が取材する対象は、ほとんどが本質に基づいた行動をとっている人ばかり。すると、「なんと人間は愚かな生き物なのか!」と思い知らされる。しまいには、人間のバカさ加減にあきれてしまう(自分も含めて)。明らかに自然に反する行為を積み重ね、自家撞着に陥り、「自分は不幸だ」と嘆いている人間を見て、他の動物や植物たちはどう思っているのだろう。

(121126 第382回 写真は新宿御苑大温室)

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