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紺碧の将

こだわらない夏

2012.08.28

 世間では「猛暑だ猛暑だ」と大騒ぎしているが、私はあまり気にならなかった。というよりも、「自分は夏が好きだ」と思い込んでいるようだ。しかし、あらためて考えてみると、やはり夏はこたえる。

 思えば、若い頃から夏を苦にしない男だった。

 30代の頃は、炎天下、自宅の近くの陸上競技場の周りを走るのが好きだった。スタンドの周りは800メートル前後あるだろうか。そこを一周90%くらいのスピードで走り、次の一周をゆっくり走る。それを6回も7回も繰り返すというインターバルトレーニングなんかもしていた。途中、なんでこんなに苦しい思いをするのか? と自分に嫌気がさしたことも数知れず。目標の距離を走り、冷凍庫でキンキンに冷やしたビールを飲むのがなによりの快感だった。やはり炎天下、ロードレーサーに乗って、アップダウンの烈しいコースを走るのも好きだった。今、それと同じことをしたら、まちがいなく熱中症で倒れ、救急車の厄介になるだろう。

 また、当時は夏でもスーツにネクタイ、上着を着用していた。半袖シャツは公務員か銀行員のためにあるものだと思い、頑なにそういうスタイルで通した(公務員と銀行員の方々、ゴメンナサイ。あまり他意はないのです)。が、今はラフなスタイルで通している。それどころか、原稿書きなどでカンヅメになるときは半裸状態、まさに裸族のいでたちである。

 「夏は暑くて当たり前」というキャッチコピーを入れた暑中見舞いをわざわざ送りつけたこともある。受け取った人からすれば、「おまえ、ケンカ売ってるのか!」という心境になったにちがいない。今はお利口さんになったので、そんな無謀かつ失礼なことはしない。

 

 そういう、夏の暑さをもろともしない男だったが、今年の夏は今までになくダレた。休日ともなると何もやる気がなく、一日中トドのようにゴロゴロしていたこともあった。眠っても眠ってもいくらでも眠れるという日が何日かあった。毎日、ビールを飲み、ZAZやブルース・スプリングスティーンの『Working on a dream』やボブ・マーリィをダラダラと聴いていた。本を読むスピードもガクンと落ちた。

 以前を「こだわりの夏」と銘打ったとすれば、今は明らかに「こだわらない夏」。では、どちらが性に合っているかといえば、おそらく後者だろう。案外私はグータラに過ごすことも好きなのだ。やるべきことがあるからやっているだけで、そういうタガがはずれたら、かなり怠惰な人間になっていると想像がつく。

 今回のテーマとは少々ずれるが、座右の書のひとつ『ラ・ロシュフコー箴言集』に次のような言葉がある。

──人は決して自分で思うほど幸福でも不幸でもない──

 案外、そうかもなあ。

(120828 第363回)

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