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紺碧の将

全力で生き、全力で死ね

2012.05.11

 先日、今年初めて、田口佳史先生の講義に出席した。事情があって、今年はアウトプットばかりしていたような気がする。学びに飢(かつ)えていたので、とても心地よい緊張感を味わうことができた。

 冒頭から、「マズローは人間の欲求5段階説を唱えていたが、死ぬ前、弟子たちに対し、さらにもう一段高い6段階目について言及していた」「なぜ、願望は達成されるのか、その際の海馬の働きとは」「魂を入れるとはどういうことか」など、いかにも田口先生らしい内容が続いた。

 特に、道元の言葉、「生也全機現、死也全機現」をひいて、「魂を入れる」ことの本質を説かれたくだりは、じつに興味深かった。

 つまり、「全力で生きろ、全力で死ね」ということである。全力で生きろというのはわかる。大人になっても知恵熱が出るほど何かに熱中できるということは、幸せなことだ。

 しかし、全力で死ね、とはどういうことだろう? はたと考えてしまった。

 わからない時は、頭の中で過去の取材の引き出しを開け、いくつかのサンプルを取り出すことにしている。私が取材した人の中で、全力で行き、全力で死んだ人は誰か?

 すぐに映像が頭の中のスクリーンに映し出された。

 見川鯛山。医者であり、作家であり、無類の遊び人である。

 私は、幸いにも最後の作品集『山医者のちょっとは薬になる話』の編集をさせていただく機会を得た。同時に『鯛山センセイの生き方』という、氏の伝記を書かせていただき、2冊をセットにして『見川鯛山、これにて断筆』という化粧箱に入れて発行した(ちなみに、この本はほぼ売り切れ、残すところあとわずかという状態である)。

 

 取材中、あるいは取材が終わってから、四方山話に花を咲かせていた時、しばしば鯛山センセイは、「オレは医者だから、自分の命があとわずかだということがわかるヨ」とおっしゃっていた。じつに淡々とした口調だった。「今日はヒグラシの声が大きいな」と言う時となんら変わらない、気負いのない口調だった。つまり、自らの死期を悟っていたのである。

 あの時、鯛山センセイは、「生きている」のと「死んでいる」のを同時に発現させていたにちがいない。全力で生き、全力で死んでいたのだ。貧しい人たちのために懸命に働き、多くの作品を残し、たっぷりと遊び、人生を謳歌した。母なる自然から、「もう、そろそろ帰っておいで」と言われ、腰をあげ始めた頃だったのだろう。案の定、それから数ヶ月後、旅立って行った。

 当時、鯛山センセイは、ことあるごとに私を褒めてくれた。調子にのった私は、「センセイのナマ原稿をいただきたいのですが」と言ってみた。

 鯛山センセイは、箱に入ったナマ原稿を出してきて、「好きなだけ持って行っていいヨ」と言ってくれた。その中から、『小説すばる』に掲載された作品をいただいた(それが右上の写真)。

 悪戦苦闘しながら書いたのが一目瞭然の、壮絶なナマ原稿だ。オモテにもウラにも文字がビッシリと書かれ、鯛山センセイがおっしゃった、「オレはでこぼこ道をリヤカー引っ張って歩いているような書き方だ」を証明するような入魂の記録である。

 その原稿は私の手元にあり、今や「宝物」になっている。

(120511 第339回 写真は故見川鯛山の直筆原稿)

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