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紺碧の将

黒澤明とお気に入りの公園探索

2012.01.12

 最近、少しずつ続けているものがある。黒澤明の作品をもう一度すべて見ることと、いろいろな公園を歩くこと。黒澤作品は日本の文化遺産なので、すべての作品を持っていなければならないという認識のもとに、10年ほど前にDVDで揃えた。

 まず、てはじめに『赤ひげ』『七人の侍』『生きる』を見た。あらためて思うことは、「この人は人間の何たるかを知り抜いていたな」ということだった。人間への深い信頼と愛情、その反面、どうしようもない生き物だという諦観。

 いったい黒澤の思想の背景にどのようなものがあったのだろう。予測がつかないのである。ヒューマンドラマというと、なんとなく人間礼賛のような主題になり、へそ曲がりな私は即座に、「これは嘘っぱちだ!」と思うのであるが、黒澤の人間礼賛は、多面的・立体的な思考をベースにしているので、嘘臭くない。

 もう一方の「公園を歩くこと」であるが、いつも歩いている新宿御苑、代々木公園、明治神宮の森などの他に、どんな公園があるのだろうという素朴な疑問によって始まったことでもある。

 調布市にある神代植物公園。ここにはなんと4,500種類、約10万株の植物が植えられている。まさに植物の宝庫である。もともとは東京の街路樹を育てるために整備されたらしい。

 西立川の昭和記念公園はとてつもなく広い(新宿御苑の3倍弱)。風情はないが、ジョギングするにはちょうどいいかもしれない。

 そして、駒込の六義園(りくぎえん)。ここは風情がある。もともと、徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主・柳沢吉芳が築園したもので、歩きながら和歌を楽しめるという趣向が凝らしてある。名前の由来は、和歌の分類の六体(そえ歌、かぞえ歌、なぞらえ歌、たとえ歌、ただごと歌、いわい歌)からきている。紅葉の季節はさぞかし美しいだろうと思う。

 なぜ、公園が好きかといえば、人と自然の合作だからだ。手つかずの自然ももちろん素晴らしいのだろうが、ふだん足を踏み入れることはない。それに、私が死ぬほど苦手な生き物がいる(あえて名前は伏せるが)。それに、今の日本本土に手つかずの自然など、ごくわずかしか残されていないだろう。であれば、人の手が入って、どれだけ人間と自然が調和できるかという視点で見るのも面白い。実際、公園を歩いてイライラするという人はいないはずだ。渋谷の雑踏や新宿駅の芋を洗うような混雑はけっして私を幸せにはしないが、よく作られた公園は私を安寧の境地に誘ってくれる。

 自分の好みの公園を見つけ、気分によって使い分ける。お気に入りのカフェをもつより、素敵だなと思える。

(120112 第310回 写真は六義園の木々と空。葉のない枝は、まるで地球の毛細血管のよう)

 

 

 

 

 

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