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紺碧の将

生身の人間が絵の中にいる

2011.12.23

 本日からBUNKAMURAで一般公開が始まった「フェルメールからのラブレター展」の内覧会に行ってきた。

 フェルメールといえば、17世紀オランダの画家で、世界にわずか30数点しかないという超レアものというイメージが定着している。時として「寡作」や「早世」は作品の価値を高める。デヴィッド・リーンは前者の一人だし、ラディゲやジミ・ヘンドリックス、ジム・モリソン、ジェームス・ディーンらは後者の典型例だろう。

 では、フェルメールはどうか。ほんとうに、名声相応の画家なのだろうか。

 そういう興味も抱きながら、本展を見た。

 結論をひとことで言えば、「やっぱりスゴイ」という以外ない。今回の展示会ではフェルメールの作品はわずか3点しかない。しかし、見終わった後、「3点も見てしまった」という深い充足感に満たされた。世界広しといえど、3点ぽっちの作品を見せて、満腹感を味わわせることのできる画家はなかなかいないだろう。

 では、どういいのか?

 デリケートな光、独特の色彩感覚、構図、小道具の配し方……はもちろんとして、人物の「鮮度」がいい。絵を切ったら血が出てくるのではないかというリアルな生身の人間が二次元空間に閉じ込められているようである。その秘訣は、緻密に描いているかどうか、ではない。緻密に描くということなら、一時期はやったスーパーリアルの手法に断然かなわない。

 では、どういえばいいのか。

 結局、人間に知悉していた、という以外にないのだろう。これは絵に限らず、文学でも音楽でもなんでもそうだ。人間の何たるかがわからなければ、表現などできはしまい。

 では、どうすれば人間がわかるのだろう?

 それがわかりゃ苦労はしない。ただ、あらゆる外からの情報をシャットアウトし、生身の人間を見つめることによってしか、その端緒につくことはできないのではないかと思うのである。

(111223 第305回 写真はフェルメールの『手紙を書く女』。内覧会はゆったり見られるので、作品を堪能できる)

 

 

 

 

 

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