多樂スパイス
HOME > Chinoma > ブログ【多樂スパイス】 > 自分たちの国を自分たちで守れない国

ADVERTISING

紺碧の将

自分たちの国を自分たちで守れない国

2011.11.24

 以前、ひょんなことから横須賀のドックに入っていた米第7艦隊の空母キティホークに乗せてもらったことがある。すでに同艦は現役を引退しているが、空母のとてつもない大きさに度肝を抜かれた。

 まさに海上要塞といっていいだろう。甲板に立つと、あまりにも広くて、そこが船上であるとは思えなかった。野球のグランドがいくつ分と言っていたかなあ。忘れたが、甲板にいくつもの野球場が作れる広さなのである。

 艦橋も何階建てのビルに相当すると言っていたかなあ。忘れたが、かなり高いビルに相当するという。たしか、艦底から艦橋のてっぺんまでは100メートル以上あったのではないかと記憶している。

 私たち一行は、よくアメリカ映画に出てくる「うだつのあがらない小者で、いじめられ役」にぴったりのような容貌のジョージ君(仮名)に案内され、艦長室やら艦底のスクリューやら、隅々まで見せていただいた。艦長室では実際に艦長に接見することができた。艦長は、いかにもアングロサクソンのリーダー然としており、風格と威厳があった。

 国力とは、軍事力、政治力、経済力、そして文化力の総合力だが、私は艦上で複雑な気持ちになってしまった。はじめは「キティホークに乗れるぞお」と喜びいさんでいたが、考えてみれば、あれほど巨大な戦力が我が国の港に停泊しているのである。しかも、日本の安全保障を担っているという。果たして、そういう姿を当たり前のものとしていいのだろうか。

 今、非武装中立論といったバカげた理論を唱える者はいないだろう。にもかかわらず、日本は自分たちの国を守るという最低限のことをせず、戦後ずっとその大切な役割を他国に委ねてきた。

 自衛隊があるじゃないか、という声が聞こえてきそうだが、自衛隊はいくら最新の兵器を備え、熟練の隊員(兵士)がどれほどいようとも、憲法によって両手両足を縛られたままであることに変わりはない。いざという時、他国の侵略を防ぐことはできない。そのとき、超法規的に対応するとは思えない。

 とすると、憲法を今のままにしておくことの愚が指摘されて当然のはずだが、多くの国民はそれを言わない。国民が関心をもたないから政治家がそれを言わないのか、政治家がそれを言わないから国民が関心をもたないのかわからないが、いずれにしても私たちはとても大切なことを放棄しているという事実は、どうやっても隠蔽できるものではない。

 年金にはあんなに関心があるのに、自分たちを担保する国家の安全保障に興味がないというのは皮肉なものだ。

(111124 第298回 写真は空母キティホークのスクリュー))

ADVERTISING

Recommend

記事一覧へ
Recommend Contents
このページのトップへ