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紺碧の将

日本人は善が好きか、汚物が好きか

2011.10.31

 実際のところ、日本人というのはどのような民族なのだろうか。日本について学べば学ぶほど、わからなくなってくるというのも事実。

 例えば、美意識だ。美に対するきわめて繊細な面と、「どうしてここまで鈍感なの?」と思わざるを得ない面がある。後者の集大成が風景だ。幕末から明治期にかけて来日した外国人は日本人の質素で清潔な暮らしぶりや深い教養に感動したが、同時に美しい風景にもため息をついている。印象派の画家たちを唸らせた日本の画家の感性の源は、日々美しい風景を見ていたことにあったといっていいだろう。

 ところがだ。戦後、日本の風景は、見るも無惨に破壊されてしまった。都市も地方も、なにもかも。少しでも目立てばいいという下品な看板、道路にまではみ出した広告サインなどの氾濫で汚物と化してしまった。

 そういった日本の風景の背景には、現行のGHQ憲法がある。とにかく、「自由」と「権利」ばかりを保証する、あの精神により、「オレが使う場所でオレがなにをやろうが勝手だ!」という輩が増えてしまった結果なのである。

 ヨーロッパの街並みの美しさは、多くの人が指摘しているので今さら詳しく説明するまでもないだろう。実際に旅行などで訪れた人は実感するにちがいない。

 なぜ、あのように美しい風景が保たれているかといえば、さまざまな規制や義務があるからだ。と同時に、風景を汚したくないという一般市民の心情がそうさせているといっていい。フランスの田舎を車で走っていると、自宅の前にいろとりどりの花を植えて、街並みをきれいにしようとしている人がたくさんいることに驚かされる。あのような環境で、目立てばいいという看板を設置した人は、周りから軽蔑されるだろう。

 美意識というのは恐ろしいもので、それが日常化すると、汚いものもそうではなくなる。反面、美しいと愛でられていたものも関心を寄せられなくなってしまう。

 今、私はウォーキングを日常の楽しみとしている。都内にいるときは、新宿御苑、代々木公園、明治神宮御苑、神宮外苑などを歩く。宇都宮にいるときは、栃木県総合運動公園を歩く。それぞれ、立派な植物がたくさんあって、目の保養になると同時に、さまざまな力を与えてくれる。

 皇室があることのありがたさを痛感せずにはいられない。皇室に関係するところは、今なお美しい風景が残されている。

(111031 第292回 写真はパリのアパルトマン)

 

 

 

 

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