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紺碧の将

鎌倉時代のフリー宣言

2011.10.19

 前回、法然上人のことを書いたが、その続きを。

 JR東海の名作広告シリーズ「そうだ 京都、行こう」キャンペーン」に次のようなポスターがあった。

 知恩院の巨大な門を正面から撮った写真に、次のコピーが配されている。

 “巨大組織「比叡山」からひとり飛び出した法然。鎌倉時代の「フリー宣言」でした。

 勇気があって成功して。カッコイイと思います。”

 あるとき、法然は巨大組織「比叡山」を飛び出し、小さな庵を結んで浄土宗の布教を始めたのだが、その場所が現在の知恩院であった。そのスタートを「フリー宣言」であったと表現している。

 なにごともそうだが、何かを得るためには何かを捨てなければならない。私も27歳で起業してから、実績もないのにさまざまなことにこだわった。デザインだけの下請けはやらない、酒やゴルフなどの接待をしない、同業者の組合に入らない等々。それらによって、目先の仕事をいくつか失ったことは事実だろう。しかし、それを補って余りうるものを得た。それは、仕事に専念できる心地よい精神状態だ。作り笑いを浮かべながら酒をつぐなどできない性格であることは自分がいちばんよく知っている。そういう自分に無理をさせないルールを課したのだった。

 ただし、そうすることは、傍目には「わがまま」とか「つきあいが悪い」と映る。それを克服するには、いい仕事をする以外にない。「あいつはつきあいが悪いけど、仕事を一生懸命やっていい結果を生んでくれるからいいか」と思わせなければ、ただの自己満足になってしまう。

 と、法然上人のことを書こうと思っていたら、いつの間に自分のことを……。

 今、つくづく思うのは、目先のことに惑わされないで自分の好きなことを最優先に仕事をやってきて良かったということ。もし、世間のしがらみや変な常識に束縛されていたら、今よりはるかに大きな事業を営んでいたかもしれないが、心はアップアップ状態になっていたと思う。

 これからも直感に従ってまっしぐらに突き進むつもりである。

(111019 第289回 写真は知恩院の山門)

 

 

 

 

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