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自分が好きなことを見つけて無我夢中で取り組み、ひとつずつ目標をクリアする。そうやって愉しみながら、自分という人間をぶ厚くしていく……。今がベストで、未来には未知の楽しみがある。これが、多樂の本質である、と『多樂スパイラル』のまえがきで書いたが、その原理原則は今も変わっていない。

日々の生活のなかで、森羅万象に潜む多樂をいかに味わうか。心に映りゆくよしなごとを書き留めておこう。それが読者の方々にとって、なんらかのスパイスになればとの願いもこめて…。

 

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極上の眺望を求めたイタリア人

2011.09.29

 日光中禅寺湖畔にイタリア大使館記念公園がある。以前、イタリア大使館として使われていた建物を栃木県が買収し、改修工事を施した後、記念公園として一般公開している。

 設計はアメリカ人のアントニー・レーモンド。外装や内装に杉の皮を効果的に用い、独特の味わいを醸し出している。

 室内に入ると、まず眺望の良さに声をあげずにはいられない。大きなガラス戸の向こうに、中禅寺湖が一望できる。イタリア人は絶好のポイントを知っていたのだろう。そこから見える湖面と山並みのコントラストは、じつに絵になっている。彼らは「美」に対して、異様なまでに貪欲である。

 間取りもニクイ。湖に面して広縁があり、椅子が横並びで湖に向いているのだ。「ここに座ってコーヒーでも飲みながら本を読めたらどんなに素敵だろう!」と思わせる、洒落た配置である(右上写真参照)。少し内側にライティングデスクがあるが、これも経年変化の味わいがあり、湖に面している。ここに長逗留して物書きしたいな、と思わせる。

1929(昭和4)年、湖で外国人たちがヨットレースに興じている様子が映像になっている。それを見て、少し複雑な気持ちになった。

 「その頃、日本人は何をしていたのか」

 1929年といえば大恐慌の年。アメリカもヨーロッパも、そして日本も混沌としていくきっかけになった年だ。その後、昭和恐慌で多くの餓死者が続出。活路を求めて多くの日本人が海外に移住して行った。東北の寒村では一家の一時の飢えをしのぐため、年端のいかない女の子たちが売られていった。その後、ただボロ雑巾のように酷使され、捨てられるためだけに。

 移民としてアメリカへ渡った日本人は、やがて排斥を受けることになる。ドイツから広がった黄禍論が浸透していたところに、ポーツマス条約を不服とした日比谷焼き討ち事件でのキリスト教会襲撃などにより、世界の日本人に対する視線は一気に厳しくなっていく。そして、生きる術を求めて満州へ……。

 世界恐慌はアメリカの保護主義がきっかけとなって起こっている。経済のブロック化がいかに多くの人を餓えさせ、無意味な戦争へと駆り立てる発端となるかということを人類は忘れてはならない。

 話がずいぶん逸れてしまったが、秋のイタリア大使館記念公園、お薦めでござる。

(110929 第284回 写真は旧イタリア大使館別荘)

 

 

 

 

 

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