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自分が好きなことを見つけて無我夢中で取り組み、ひとつずつ目標をクリアする。そうやって愉しみながら、自分という人間をぶ厚くしていく……。今がベストで、未来には未知の楽しみがある。これが、多樂の本質である、と『多樂スパイラル』のまえがきで書いたが、その原理原則は今も変わっていない。

日々の生活のなかで、森羅万象に潜む多樂をいかに味わうか。心に映りゆくよしなごとを書き留めておこう。それが読者の方々にとって、なんらかのスパイスになればとの願いもこめて…。

 

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柳生博さんの素敵な雑木林

2011.08.23

 「13歳になったら、毛布と歯ブラシを持って一ヶ月の旅に出よ」

 俳優の柳生博さんは13歳になった夏、祖父からそう言われ、家を出た。それが柳生家のしきたりだったのだ。

 当時、柳生さんは茨城県霞ヶ浦に住んでいた。周りはどこを見渡しても平野ばかり。いちばん高い山でも筑波山(880メートル)しかない。だから、ずっと高い山に憧れていたという。

 旅に出た柳生さんが向かったのは、高い山々が連なる八ヶ岳。当時13歳の柳生少年はそのとき、得難い体験を山のようにしたであろう。そのときの記憶が後に甦り、俳優業がピークに達して,自分を見失いかけた頃、「完全に人間としてのバランスを失っている。このままじゃダメになってしまう」という自分の心の奥からの声に従って八ヶ岳に土地を求め、地元の人たちの力を借りながら雑木林の手入れを始めた。毎日のように木を植え、枝をはらった。林はみるみる生気を取り戻してきた。

 やがて若い者も集まってきた。そこで働かせてくださいと。

 そのようにしてつくった雑木林に、自然発生的にカフェとギャラリーが誕生した。それが「八ヶ岳倶楽部」である。

 北岳から下山した翌日、八ヶ岳倶楽部を訪れた。じつは、13年前にそこを訪れ、偶然柳生さんと話をする機会を得たことがある。その時、少年時代の話を聞いたのだった。

 

 お昼少し前にもかかわらず、すでに遠来の客でいっぱいだった。少し雨に濡れた後もあり、雑木林の緑はじつに鮮やかだった。生き物が燦然と発する色になっていた。

 テラス席のカウンターを希望し、案内してもらう。30センチほどの幅の板を塀にめぐらせただけの簡素な作りだったが、その席から見る光景は他に例がないほどだった(右上写真)。

 深呼吸をすると、美味しい空気が肺のなかに充填される。筋肉痛でロボット歩きしかできない状態だったが、食後、林の中を散歩した。きちんと木道が敷かれ、人を林の中に誘っている。林のなかは驚くほど手入れがなされていた。かといって、不自然ではない。まさに神人合作だった。

 その後、ショップで柳生さんの本を求めると、「今日はパパさんがいらっしゃるのでサインをさせていただきます」と言う。スタッフたちは柳生さんを「パパさん」と呼び、柳生さんの奥さんである加津子さんを「ママさん」と呼ぶ。

 柳生さんにサインをしてもらう時、13年前にここで少年時代の話を聞いたと伝えた。すると、笑い皺の顔をさらにほころばせて、今は13歳になった孫が島根を旅している最中だという。ただ、女の子なので一ヶ月ではなく一週間だということだが。

 物騒な世の中にもかかわらず、柳生家のしきたりはきちんと生きていたのだ。

 来年は八ヶ岳に登る予定だが、下山したらまた八ヶ岳倶楽部を訪れるつもりである。

(110823 第275回 写真は八ヶ岳倶楽部のテラス席から見た雑木林の風景)

 

 

 

 

 

 

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