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自分が好きなことを見つけて無我夢中で取り組み、ひとつずつ目標をクリアする。そうやって愉しみながら、自分という人間をぶ厚くしていく……。今がベストで、未来には未知の楽しみがある。これが、多樂の本質である、と『多樂スパイラル』のまえがきで書いたが、その原理原則は今も変わっていない。

日々の生活のなかで、森羅万象に潜む多樂をいかに味わうか。心に映りゆくよしなごとを書き留めておこう。それが読者の方々にとって、なんらかのスパイスになればとの願いもこめて…。

 

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きれい好きが北岳登頂

2011.08.15

 前回、すでに書いたように、北岳に登頂した。国内では富士山に次いで高い山(3193メートル)である。富士山は「登る山」ではなく「見る山」なので、登山好きにとっては最高峰と言ってさしつかえないだろう。

 広河原山荘を出発したのは早朝6時少し前。最初の15分くらいを除き、行路のほとんどが登りだった。登り、登り、これでもかとひたすら登る。高い木がなくなるエリアにくると太陽光を直接受けるので、疲労が増してくる。高度が上がるにつれ、空気が薄くなってくることも疲労回復を阻む要因だ。

 大樺沢二俣を越え、さらに勾配がきつくなってきた頃、小雨が降ってきた。急いで雨具を着る。雨に濡れ、滑りやすくなっている木のハシゴを20数カ所登ると、八本歯のコルにたどり着く。その後は岩場の連続だ。

 北岳山荘に着いたのは午後1時少し前。「本日は1枚のフトンに二人で使用していただきます」という貼り紙に、まず目眩を覚える。それがどういうことを意味するのか、わかっているからだ。

 やがて、本格的な雨になり、雷も轟いた。強い雨脚が屋根のトタンを叩く。毎年同行するカズオさんは、登りは超スローペース。2時間過ぎても来ない。よもや雷に打たれて炭化しているのでは? と不安がよぎる。

 そのうち、びしょ濡れ状態で姿を現した。コンビニで買ったビニール傘が目印だ。ビニール傘をザックに差している姿は、さながら「南アルプスの山下清」。颯爽とした出で立ちである。

 小屋の入り口は雨具を着た人でごった返していた。天気の急変もあって、宿泊者は定員の2倍以上になると聞かされ、再び不安がよぎる。

 案に相違せず、過酷な夜だった。とにかく身の置き場がない。みんながそうだったので、消灯はなんと7時半頃。狭いフトンに二人で寝るだけではスペースが足りず、靴を脱いで床にあがる「上がり框」のところにもフトンが敷かれている始末だった。

 夜は爆音のようなイビキと寝言でまったく眠れない。特に太めのオジサンのイビキは犯罪的ですらある。カズオさんは寝言を連発する。「お昼前には間に合うと思っている」「そこをどうするか悩んだんだよ」などと、わけのわからないことを普段よりずっと大きな声で喋り続けている。そこにガムテープがあったら、容赦なくそれを使ってイビキオジサンやカズオさんの口や鼻を塞いでいただろう。

 トイレでは片手で鼻をつまんで用を足した。山小屋には何度泊まっても慣れることはない。

 なにを隠そう、私は案外意気地なしで、そういう状況にまったく対応できないのだ。一方、カズオさんはどんな場所でも平気というか、自分にいちばん合っているのは田端あたりの薄汚いアパートの一室だという。田端という地名が絶妙だ。できれば、ダニが少し共生しているくらいがちょうどいいという。トレンディドラマに出てきそうなきれいな部屋では落ち着かなくて、散らかしたくなってしまうという。

 なんという美意識! さすがは食産業の経営者だと感心することしきりだった。

 私は自分で言うのもナンだが、自分でプロデュースした宇都宮の自宅も新宿御苑前のマンションも快適そのもので、居住空間とはそういうものだと思っている。しかし、これが思わぬ落とし穴でもある。宿が悪いと旅を楽しめない人間になり果ててしまったのだ。

 そういう人間が毎年、日本アルプスを登っているのだから、いかに山が魅力あるか、わかるだろう。

 翌日の下りは、いつにも増して脚に響いた。最後は太ももも足の先も感覚がなくなり、フラフラだった。しかし、その後に飲んだ生ビールがどれほど美味しかったか、こればかりは体験してみないとわからない。

 結局、私は山の頂上付近で見るこの世のものとは思えない絶景を見るのと、苦しんだ後のビールが楽しみなのとで山登りを続けているのかもしれない。

 

 ところで、以前も書いたが、数十年ぶりにシャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』を再読し、深い感銘に包まれた。これが本当の愛情なのだろうと思い知らされた。昔の人は30歳くらいで、どうしてこのような壮大な物語を書けたのだろう。

 文中に次のような表現があった。

──万物の母である自然のほか、わたしは一人の近親もいないのだ。わたしは大自然の懐を捜し、休息を求めよう。

──親にすがる子どものような気持ちで自然に身をゆだねた。少なくとも、今夜は客として迎えてもらおう、わたしは自然の子なのだから。

 

 ジェインがほとんど無一物でソーンフィールド館を飛び出し、浮浪しているときの心中を綴ったものだ。シャーロット・ブロンテはイギリス人だが、日本人となにも変わらない自然観を持っている。今も昔も、そして東洋でも西洋でも自然は万物の母なのだ。

(110815 第273回 写真は北岳の頂上にて)

 

 

 

 

 

 

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