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紺碧の将

戦前も戦後も天皇の役割は変わっていない

2011.07.25

 前回に続き、御用邸の写真を→。

 今回は日光田母沢御用邸跡地である。

 日光田母沢御用邸は前回紹介した沼津御用邸より狭いものの、豊かな日光の自然を背景にした四季折々の風情ある佇まいは格別の趣がある。この御用邸は日光出身で明治時代の銀行家・小林年保の別邸に、当時、赤坂離宮などに使われていた旧紀州徳川家江戸中屋敷の一部を移築し、その他の建物は新築して、明治32年(1899)に大正天皇(当時 皇太子)のご静養地として造営された。その後、昭和22年(1947)に廃止されるまでの間、大正天皇をはじめ、三代にわたる天皇・皇太子がご利用になられている。

 

 話は変わるが、去る7月23日、久々の創新フォーラムが都内で開催された。

 ゲストスピーカーの竹田恒泰氏(旧宮家の後裔。慶應義塾大学講師・35歳)の話がとても興味深かったので、要旨を紹介する。メモもとらず聞いたものを、思い出しながらまとめたものなので、詳細は異なっているかもしれないが、概論はおおむねこんな感じだ。

 

●世の憲法学者の大半は左翼思想。今上天皇は第125代だが、左翼の学者たちは2代目だとうそぶいている。そのような偏狭な状況下、講演者の竹田氏は数少ない保守本流。

●今年は皇紀2671年。世界で最古の歴史をもつのが我が国・日本である。前回書いた手塚治虫のように祟神天皇以前の皇紀に疑問を唱える人もいるが、少なくみても1800年以上の歴史があることはたしか。ちなみに2位はデンマークで1000年強。3位はイギリス。

●戦前と戦後では天皇の地位が変わったと学校で教えられているが(戦前は主権者、戦後は象徴)、天皇の権限は帝国憲法下でも現憲法下でもほとんど変わっていない。戦前も直接天皇が政治的判断を下すことはなく、他の機関(議会や内閣や元老会議)で決定したものを裁可するだけであった。直接天皇が判断を下したのはポツダム宣言の受諾のご聖断だけである。戦後は国民が主権者と位置づけられているが、じつは天皇による承認・公布がなければ法案ひとつ効力を発しない。つまり、日本は戦前も戦後も君民一体となって国体を営んできた。

●前記のことは君主(天皇)と民衆が対立関係になっていないからこそ可能。日本以外の王朝は民衆と対立関係にあるケースが多い。イギリスでさえ、王朝と一般民衆の間には特別な信頼関係がない。

●1100年以上も天皇の御所となった京都御所はほとんどの警護の者がおらず、中学生でも飛び越えられる壁しかない。民衆が天皇を襲撃するなど、考えられなかったからだ。

●天皇の主な役割は国民のために祈ること。民のために祈る君主は世界に日本だけ。アメリカの大統領が国民のために祈ることなどありえない。

●天皇が一般の日本国民にいかに崇敬されているか、また天皇がいかに一人ひとりの国民を慮っているかは先の被災地巡幸を見ればわかる。日頃、天皇などいなくてもいいと唱えている人でさえ、天皇・皇后両陛下のお姿を見ただけで泣いたという。一方、菅総理に対する態度はどうであったか?(言うまでもない)

●天皇の祈りの力を侮ってはいけない。激戦で日米両軍の兵士が2万人以上も亡くなった硫黄島では戦後50年の節目に天皇皇后両陛下が訪れ、慰霊をした後、それまで頻繁にあった霊的現象がまったくなくなったという(自衛隊員談)。

 その他、いろいろ……。

 

 要するに、われわれは日本民族は、われわれ国民一人ひとりの幸せを一心に祈ってくれている天皇という存在を2000年以上にわたって戴いているという僥倖にあらためて感謝すべきだということ。

 ほんとうにその通りだと思う。

(110725 第268回 写真は旧日光田母沢御用邸)

 

 

 

 

 

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